け、重吉は自分の方から、出入口が見られる側に席をとった。
「御註文は――」
「君なに?」
「私コーヒー」
「じゃコーヒーを二つ」
「ツー、コーヒー」頭のはじに白い帽子をのっけたボーイが機械的に声をはりあげて呼んだ。はる子は重吉と顔を見合わせ、何ということなくにやりとした。
「ああこないだ話していた本ね――書翰集、一冊あったからまわしとく」
それはローザがリープクネヒトの妻にあてて監禁生活の中から書いた手紙の集であった。初歩的な女の学生の間にそれは愛情と亢奮とをもって読みまわされていた。はる子が一冊持っているのは、綴が切れるほど手から手へうつっているが、それだけでは足りないのであった。ポケットから本屋の包紙に包んだのを出して、重吉はそれをテーブルの上に置いた。
「もし目に入ったら、君の方でも買っとくといいね。――あれも入ってるからそのつもりで」
「ええ」
はる子は羽織の片肱をテーブルの上に深くかけ、片手でコーヒーをかきまわしている。そうしながら、桃色と白のカーネーションが活かっている花瓶のわきに置かれたその紙包を、短いような、さりとて決して淡白ではない眼差しでちらりと見た。
重吉は簡単な言葉で、渡した文書について説明した。それから、もう一度腕時計を見て、
「じゃこの次はいつにしようか?」
「私の方は土曜か日曜なら」
「毎週じゃいけないだろう。――定期は一週間おきにということに大体きめておこうか。それでいいだろう?」
「ええ」
「いろいろいそがしいだろうけれど授業はやっぱりちゃんと出るようにね、やっぱりそういう点でも信頼がなくちゃいけないから……」
重吉はこまごまとした注意を添えて、次に会う場所と時間とをはる子に教えた。最後に勘定書をとりあげて重吉が立ち上ろうとした時、はる子はあわてたように、
「ああそれはいいんです」
と云った。
「私が払うから」
さっき往来で歩きながら浮べたと同じような自然な微笑が再び重吉の顔の上をてらした。彼は青年らしく健康な歯並を輝やかしながら云った。
「いいよ。この位平気だよ」
「――じゃ、これ」
はる子は、カーネーションの花かげに置かれた薄い本包をしっかり脇にはさんで自分も立ち上りながら、自分の分のコーヒー代を出し、着物のゆきたけから伸び伸びした腕がはみ出ているようなぶっきら棒ななかに、若い娘らしい袖口の色を動かして重吉に渡した。
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