たと仮定して見る。此那讚辞に対して、私は元より無関心である。
 私は、平静な微笑をもって、其に報い得る。けれども、此は私丈ではないと思う、どんな小さいことでも、芸術的の創作に力をそそぐ人は、彼等の作品を認められ、賞讚されたという場合に、仮令如何に其を押えようとしても押えられない嬉しさが来る。
 有頂天にならないまでも、又、如何に謙虚に自分の未完成である事にハムブルではあろうとも、その「心のときめき」を、否定し尽す人はないだろう。
 下らない賞讚にあって、少し頭に血が上ったのを知ると情けない。
 小さい誹謗に、口元を引締めるのを知ると寂しい。
 あらゆるそういう動機によって、創作のモーティブが不純になる事を畏れて、戯作三昧の主人公のように、成べく、其を耳にしないようにするべきだろうか。又如何に其等が群をなして飛んで来ようと、端然と己を持して居られる丈の自らの力の成育を希うべきであろうか。
 自分は後者であり度く思う。ありたく思うのみならず、そう努力して行こうと心に思い定めて居る。
 総ての事物に、合一される事が無くなり度い。

 同じ日
 今日は偉く暑い日である。
 紐育《ニューヨーク》
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