数の家では少額ならざるを得ないという当然のことが、決して合理的に扱われていないのである。家庭購買で活躍していられる押川夫人など、こういう点にどんな感想を持っていられるだろう。
私たちの今日の生活が過渡期の混乱におかれていることは、こういう小さい例にもまざまざと感じられると思う。
商人は商人気質の鋭さ万能に、家を守る女性は、何はともあれ我家のやりくり専一に、それぞれ主観の利益に立った個々の生きかたを続けて来たところへ、今日は一方から謂わば純理的な方針が与えられ、しかもその純理的な算数の根本には、まだ従来の生産の形式がそのままでいるという複雑さである。企業合同の今日の性格の歴史的な入りくみかたを考えても、私たちの心をさわがせる胡瓜一本一本に、やはり同じような幾重もの時代の性格が絡んでいるのである。
女性の経済についての知識が、一尾の魚を幾とおりに料理出来るか、という範囲よりも、広められ深められなければ、今日の多難さの裡で、つまりはこれ迄の女の一番卑屈な思いつきでばかり、現実の推移を追っかけていなくてはならないことになるだろうと思われる。[#地付き]〔一九四一年十月〕
底本:「宮
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング