を肯定するときになっているのだと思われる。
「車輪の下」にはヘッセの数多い作品の中でも、そういう積極的な人間らしい生活を求めずにいられない人々の願いの方向が生々しく脈うっている。この小説のなかで作者が、大人の所謂教育というものの考えかたに対して向けている抗議には、おとなしい表現の中に鋭い、健全な洞察が閃いている。この小説が今日もひろく若い人々の心をひきつけるものを失わないとすれば、それは、ロマンティックな雰囲気にかこまれつつも極めてリアルな同感をよびおこさずにいない、この作者の人間抗議の誠実な響であろうと思う。
 それにつけて思い合わされるのは欧州文学の宝庫の中には、何と教育というものへの批判と抗議の文学が数多く在るだろうというおどろきである。
 たとえば、ドイツの近代文学を眺めれば、理解されない子供の悲劇を主題とした作品は二十世紀の初めごろからいくつか現れている。フレンセンという作家の「イエルン・ウール」という作品は、文学の歴史で云えばヘッセの「車輪の下」の先駆をなす性質の作品である。さらにヴェデキントの「春の目醒め」(岩波文庫・野上豊一郎氏訳)は、日本でも上演されて親しまれている。
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