をうけなければならなかったロシアの教育法というものを語っている。ゴーリキイの「幼年時代」(岩波文庫・米川正夫氏訳)には、一層荒々しさと暗さがむき出しな貧しい環境の中で人間的な稚い魂が目撃した恐怖と、それに対して闘った自立の精神の芽生えの雄々しさがある。
 ほんの一部の例にすぎないこれらの作家たちは、芸術家としての精髄を注いで、虐げられた稚い肉体と精神のために代弁している。時代をとびこして今日の私たちの心をしっかりととらえる情熱を傾けて、いずれもその作家たちの代表的な作品として生み出して来ているのである。
 そのようにこれらの芸術家たちの心情を刺戟し燃え立たせた原因というものは、一体どこに在ったのだろう。第一に心づくことは、ドイツもフランスも、ロシアも、新教と旧教、ギリシャ正教などのちがいこそあれ、いずれも一般の常識は深い宗教的影響をうけていて、教育そのものが、宗教的教義の重石に窒息されている国柄であったということである。そういう宗教の独断と偏見と偽善との下で、無垢な人間精神の自然な発展が、どんなに圧迫され型をおしつけられ、しかも若く稚い人たちにとってそれとのたたかいがいかに困難無残をきわめているかということを、これらの作家たちは、よりゆたかな心に黙すことの出来ない迄感銘させられているからにほかならない。最も低い、最も御しやすい卑屈さで、目前の役に立つ人間を鋳出していこうとする教育のきまりきった圧力を、よく着実にはねかえし得たものが、つまりは人類の歴史にとって価値ある何かの存在となったということは、歴史が語る実に意味ふかい事実ではないだろうか。
 文学が、より美しい、よりゆたかな世界の創造への参加である本質から、すぐれた作家たちがこのような精神成長史としての製作を生んでゆく必然は十分に肯けるわけである。
 しかしながら、ここでもう一度私たちを考えさせることがある。どうしてこれ等の人間精神の記念的な作品は、主人公がどれも少年たちばかりなのだろうか、ドオデエもあのように愛らしい女性の幾人かを描いたが、プチ・ショウズの主人公は、少女ではなかった。デュガールの女性たちは「チボー家」をめぐってさまざまな性格を表現しているが、ジャックは、ほかならぬジャックであって、少女ジャンネットにおきかえることは全然不可能である。
 これは何故だろう。作者にとって、自伝的な要素が多い主題である
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