女との結合ということがこの時代には眼目とされたのであった。
 確かに白樺派に属する若い人々は、まじめに、軽蔑など感ぜず女に対し、たとえば小間使いの女との間に生じた関係をも全心的に経験したであろう。女を一人の女として、階級のゆえんで蹂躙したりは決してしなかったであろうが、概して、これらの若い人道主義者たちの人間性とそれに対する善意とは抽象的なものであった。これらの人々は、どんなに自分は善意をもっており、誠実な心であっても、客観的にそれが現実の社会関係の内に行動されたときどういう作用を起すかということについては比較的知っていない。その点での社会性はいたくおくれている。これは直接恋愛についてではないが、たとえば武者小路実篤氏が今日の時代の農村の実状からとびはなれて、二宮尊徳をその誠意や精励、慧智の故にだけ、その美徳を抽象して賛歎しているような悲しき滑稽が出現するのである。
 欧州の大戦と婦人の職業戦線の拡大、労資の問題の擡頭、民衆の階級としての自覚、その解放のための運動は、日本でも恋愛と結婚との実際に大きい影響と変化とを与えた。ソヴェト連邦は新しい社会の機構によって、婦人の性を妻、母として保護しつつ、社会的にますます人間性の高められた複合単位として経済的、政治的、文化的に男女一対の内容を育てつつある事実は、世界の進歩的な男女に、男と女との恋愛や結婚の幸福の土台となっている社会事情についての理解やその歴史的発展に対する認識に一定の方向を与えた。マルクス主義の理解は、恋愛、結婚問題についての態度を従来の女性解放論的なもの、あるいは男女平等論風なものとはその本質において異ったものとした。抽象的に恋愛における人格の価値や自由をとりあげていた過去の態度に対して、新しい常識は、われわれの恋愛の根底において支配している経済力と個人との関係、そこから生じる恋愛の階級的質の相違、恋愛の自然な開花の可能と社会事情の進展との相互関係などについて、積極的に会得するようになったのであった。
 当時、おびただしい困難と歴史性からの制約と闘いながら、社会進歩のために献身した若いマルクス主義者たちの実践は、方向としては健全で遠大な目標を目ざしつつ、日常の錯雑した現実関係のうちで、実にさまざまの価値ある経験の蓄積をのこしている。どんな思想も抽象的に在ることはないのであるから、当時の最も進歩的なものも、日本の社会生活が過去からもち来している古い重荷のために微妙な曲線を描かざるを得なかった。とくに男女の性生活の新しい社会的認識の面では。
 新しい世界観によって導かれたこれらの若き一団の前進隊は、過去からの家族制度に強制された形式的な夫婦関係、小市民風な、恋愛は絶対であるというロマンティックな考えに抗して、唯物論者の立場から、広汎、多岐な人間生活の一部門である性問題として恋愛の科学的、社会的処理を志した。健康で、自主的で社会的責任によって相互に行動する両性関係とその論理の確立を求めたのであったが、一部の人々は、両性の問題だけを切り離して当時の社会の歴史的、階級的制約の外で急進的に解決し得るものではないという事実を過小評価する結果に陥った。
 日本における過去の左翼運動の若さは、いろいろの深刻な教訓を我々の発展のために与えているのであるが、性問題の実践にあたっても、若い前進部隊のこうむった被害の最大なものは、いりくんだ作用で彼らの脚にからみついて来ていた封建的なものとの格闘によるものであった。たとえば、女を生活の便宜な道具のように見た古い両性関係の伝統に対して、正当な抗議をしながらも、一部の活動家の間には、性的な交渉をもふくめて女を一時便宜上のハウスキイパアとして使うことの合理化が行われた。女は、ある場合それに対して本能的に反撥を感じながら、組織内の規律という言葉で表現されたそういう男の強制を、自主的に判断する能力を十分持たず、男に服従するのではなく、その運動に献身するのだという憐れに健気《けなげ》な決心で、この歴史的な波濤に身を委せた。性関係における自主的選択が女に許されていなかった過去の羈絆《きはん》は、そういう相互のいきさつの間に形を変えて生きのこり、現れたのであった。
 大衆の組織が、短時間の活動経験を持ったばかりで、私たちの日常の耳目の表面から退潮を余儀なくされて後、その干潟にはさまざまの残滓や悪気流やが発生した。いかにも若い、しかしながらその価値は滅すべくもない経験の慎重な発展的吟味のかわりに、敗北と誤謬とを単純に同一視し、ある人々は自分自身が辛苦した経験であるにかかわらず、男女の問題、家庭についての認識など、全く陣地を放棄して、旧い館へ、今度は紛うかたなき奴となり下って身をよせた。
 しかし、若い世代は一般的に年齢が若いだけの必然によって、そういう歴史の上での逆行は本然的に不可能であると感じており、しかも一方にはますます逼迫する経済事情、自由な空気の欠乏などが顕著であり、生活態度全般にわたって帰趨に迷うとともに、恋愛、結婚の問題についても、決して、簡単明瞭な一本の道には立っていないのが今日の現実であろうと思う。優秀な、着実な今日の若い人々は、決して、反動家のように野蛮な楽天家でもなく、卑屈な脱落者のように卑屈でもあり得ないのである。

 私たちは、自分たちが生活している環境も無視して恋愛も結婚も語ることができない以上、農村の若い男女の実際と、都会の若い勤労者の間でのこととでは、いろいろ違ってくると思う。
 現代の社会の機構が、都会と農村との生活的距離を大にしており、文化の面で、地方は常に都会からおくれなければならない関係におかれている。哲学者三木清氏は、この原因を地方的文化の確立がないから、都会の文化がおくれて、しかも低い形で真似られているにがにがしさと見ていられるが、近代の農村と都会とをつないでいる経済関係を知っているものは、文化の根底をもおのずから、経済的なものと観ざるを得ない。地方の小都会や農村の若い人々の恋愛や結婚の実際は、その人たちが進歩的であればあるほど、多くの困難にであわなければなるまいと思う。とくに、総領の息子、あるいは家督をとる一人の娘というような場合、これらの誕生の不幸な偶然にめぐり合った人々は、今もって家のために、親を養い、その満足のために、結婚がとりきめられ、そこでは家の格式だの村々での習慣だの親類の絆だのというものが、二重三重に若い男女の心の上に折り重ってかかってくる。
 農村での生活がたち行く家庭で若い人々の負う荷はそのような形だが、貧農の娘や息子の青春は、どんな目にふみにじられていることであろう。政府は東北局というものを新しくつくらなければならない程度に、日本の農村は貧困化している。売られて都会に来る娘の数は年を追うて増加して来ている。矯風会の廃娼運動は、娘が娼妓に売られて来る根源の社会悪を殲滅し得ない。
 小さい自作農の息子が分家をするだけの経済力がないために結婚難に陥っていること、またそういうところの若い娘たちが、また別の同じような農家へいわば一個の労働力として嫁にもらわれ、生涯つらい野良仕事をしなければならないことを厭って、なるたけ附近の町かたに嫁ぎたがる心持。ある座談会で杉山平助氏は、中農の娘が巡査、小学校の教員、村役場の役員その他現金で月給をとる人のところへ嫁にゆきたがるのは、農村に現金が欠乏しているからと、語っておられる。それも確に一つの原因ではあろうが、今日、婦人雑誌の一つもよむ若い農村の娘は、耕作の激しい労働に対する嫌悪と文化の欠乏を痛感している。私の知っているある娘はこういった。「私は東京で嫁に行きたいと思っていたんですけれど。――田舎は煙ったくて、煙ったくて。」その娘の煙ったいというのは本当に煙のことで、田舎では毎朝毎夕炉で粗朶《そだ》をいぶし、煮たきをする、その煙が辛い。ガスのある東京で世帯をもちたいというのである。
 巡査にしろ、小学校教員にしろ、その妻は畑仕事が主な仕事ではなくて生計が営める。婦人雑誌をよむひまも、そこに出ている毛糸編物をやるひまもあり、最低ながら文化的なものを日常の生活の中にとり入れることができるであろうという若い女の希望も、この事実の裏にあると思う。
 ブルジョア文化というものは、何と奇体に不具であるだろう。たとえば近頃の婦人雑誌を開いて見れば、女がいつまでも若く美しくている方法から、すっきりとした着付法、恋愛百態、輝やかしい御幸福な新家庭の写真など、素朴な若い女の目をみはらせる写真と記事とのとなりに、最近とりわけて農村生活の幸福を再認識させようとして絵画化され、空想化された構図で、田舎の生活スナップや労働の姿などが撮られて並んでいる。農村の現実の中で明け暮れしている者の胸に、それらの農村写真の非真実性は自然映ってくるであろう。こんな綺麗ごとではないと思わずにいられまい。その感情で、都会の姿もここに見られるばかりではあるまいと鋭く思いいたる若い女は、数にしたらごく少数の怜悧な人々だけであろうと思う。田舎での女の暮しの楽しみ少なさばかりが際立って顧みられ、都ぶりに好奇心や空想を刺戟され、カフェーの女給の生活でさえ、何かひろい天地に向って開いている窓ででもあるかのように魅力をもって見られるのであると思う。
 処女会の訓練法は、はたして若い女の進歩性をのばしているであろうか。進歩的な農村の青年らが希望する女としての内容を与えているであろうか。このことには再び多くの疑問がある。封建的な家というものの重さ、近代的高利貸の重さ、昔ながらの少なからぬ風習の重さ。これらに立ち向って農村の進歩的な青年男女は、彼らの若い人生の路を推し進まなければならないのである。それは行手の長い、実につよい根気の求められる路である。どうせ、といってなげ捨ててしまえば、たちまちまわりの重さに息をとめられてしまう。何とかしてその重さをはねのけようとする欲求、その生々しい力、そのようなものを互にもっていることがわかりあって、その力をも合わせ集めるつもりで若い一組が結びつくことができたら、現在の農村の生活の中ではすでに大きいプラスの意味をもつことであると思う。男も女も家庭をもったらもう駄目ですね、とよくいわれる言葉ほど昔風で、悲しく屈伏的なものはないと思う。私たちは人間性を埋められる場所として家庭をあらしめることは許さない。この社会で、家庭というものが、そういう青春や恋愛の埋めどころでないものとなるために、人間らしい、共同的な小社会としての家庭を来らしめるために、私たちは自分の家庭生活そのものをもって闘って行かなければならないのだと思う。

 ある人が、こういうことを話した。日本では恋愛論とさえいえばよく売れる。婦人雑誌を売るには恋愛論なしでは駄目だ。ところが、イギリスでは、恋愛論では売れず結婚論ならば売れるそうだ、と。
 私は、深い印象をこの言葉からうけた。イギリスは、フランスなどと違って、結婚は男と女との相互的な選択、友情、恋愛の過程を経て結婚に到る習慣をもってきている。彼らのところで結婚というものは愛し合っている一組の男女が、さらに深く結ばれ、豊かに溶け合い、いわば恋愛をその生涯で完成させる道として考えられている。浅く軽い恋愛、または情痴的な破局的な恋愛、あるいは恋愛期だけで消滅して永年の結婚生活にたえぬ要素の上に立つ恋愛は、研究するまでもなく数も多いであろう。恋愛を夫婦愛の中核として見て、その発展と成熟との間におこる種々の問題こそ研究さるべきであるという常識は、日本の、現在でもなお結婚と恋愛とを切りはなして考える慣習と対蹠をなしている。
 昔の日本人は、封建の柵にはばまれて、心に思う人と、親のきめた配偶者とはほとんど常に一致しなかった。現在は、菊池寛氏のように恋愛を広義の遊蕩、彼のいわゆる男の生物的多妻主義の実行場面と見、結婚を市民的常識にうけいれられた生殖の場面、育児の巣と二元的に考える中年の重役的認識と、恋愛は楽しくロマンティックで奔放で、結婚は人生の事務であると打算的に片づけている資本主義末期の若
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