なもの、人生に対して受動的な純潔、無邪気に満ちている美を美として認めている。漱石が、自分の恋愛に対して自主的であり、捨身である女を描くことができたのは、きわめて幻想的なヨーロッパの伝説を主とした「幻の盾」や「薤露行」やの中の女性だけであったことも興味ふかい。漱石は、彼が生きた時代と自身の閲歴によって、日本の知識人の日常生活の桎梏となっている封建的なものに、最も切り込んだ懐疑を示した作家であった。けれども、一面では、自分の闘おうとしているものに妥協せざるを得ない歴史の遺産が彼の心の中にあって生きていた。
当時、まだ若かった平塚らいてう氏と森田草平氏とが、ダヌンツィオの影響で、恋愛は死を超えるものか、死が恋愛を負かすものであるか、という、今日から見ると稚げとも思える一つの観念的な試みのために伊香保の雪の山中に行ったりした事件に対し、漱石は、どちらかというと、先輩、指導者としての責任感という面からの感情で見ていることも、興味がある。
平塚らいてう氏たちによってされた青鞜社の運動は、沢山の幼稚さやディレッタンティズムをもっていたにしろ、この社会へ女というものの存在を主張しようとする欲望の爆
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