御幸福な新家庭の写真など、素朴な若い女の目をみはらせる写真と記事とのとなりに、最近とりわけて農村生活の幸福を再認識させようとして絵画化され、空想化された構図で、田舎の生活スナップや労働の姿などが撮られて並んでいる。農村の現実の中で明け暮れしている者の胸に、それらの農村写真の非真実性は自然映ってくるであろう。こんな綺麗ごとではないと思わずにいられまい。その感情で、都会の姿もここに見られるばかりではあるまいと鋭く思いいたる若い女は、数にしたらごく少数の怜悧な人々だけであろうと思う。田舎での女の暮しの楽しみ少なさばかりが際立って顧みられ、都ぶりに好奇心や空想を刺戟され、カフェーの女給の生活でさえ、何かひろい天地に向って開いている窓ででもあるかのように魅力をもって見られるのであると思う。
 処女会の訓練法は、はたして若い女の進歩性をのばしているであろうか。進歩的な農村の青年らが希望する女としての内容を与えているであろうか。このことには再び多くの疑問がある。封建的な家というものの重さ、近代的高利貸の重さ、昔ながらの少なからぬ風習の重さ。これらに立ち向って農村の進歩的な青年男女は、彼らの若い人生の
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