路を推し進まなければならないのである。それは行手の長い、実につよい根気の求められる路である。どうせ、といってなげ捨ててしまえば、たちまちまわりの重さに息をとめられてしまう。何とかしてその重さをはねのけようとする欲求、その生々しい力、そのようなものを互にもっていることがわかりあって、その力をも合わせ集めるつもりで若い一組が結びつくことができたら、現在の農村の生活の中ではすでに大きいプラスの意味をもつことであると思う。男も女も家庭をもったらもう駄目ですね、とよくいわれる言葉ほど昔風で、悲しく屈伏的なものはないと思う。私たちは人間性を埋められる場所として家庭をあらしめることは許さない。この社会で、家庭というものが、そういう青春や恋愛の埋めどころでないものとなるために、人間らしい、共同的な小社会としての家庭を来らしめるために、私たちは自分の家庭生活そのものをもって闘って行かなければならないのだと思う。
ある人が、こういうことを話した。日本では恋愛論とさえいえばよく売れる。婦人雑誌を売るには恋愛論なしでは駄目だ。ところが、イギリスでは、恋愛論では売れず結婚論ならば売れるそうだ、と。
私は、
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