逆行は本然的に不可能であると感じており、しかも一方にはますます逼迫する経済事情、自由な空気の欠乏などが顕著であり、生活態度全般にわたって帰趨に迷うとともに、恋愛、結婚の問題についても、決して、簡単明瞭な一本の道には立っていないのが今日の現実であろうと思う。優秀な、着実な今日の若い人々は、決して、反動家のように野蛮な楽天家でもなく、卑屈な脱落者のように卑屈でもあり得ないのである。

 私たちは、自分たちが生活している環境も無視して恋愛も結婚も語ることができない以上、農村の若い男女の実際と、都会の若い勤労者の間でのこととでは、いろいろ違ってくると思う。
 現代の社会の機構が、都会と農村との生活的距離を大にしており、文化の面で、地方は常に都会からおくれなければならない関係におかれている。哲学者三木清氏は、この原因を地方的文化の確立がないから、都会の文化がおくれて、しかも低い形で真似られているにがにがしさと見ていられるが、近代の農村と都会とをつないでいる経済関係を知っているものは、文化の根底をもおのずから、経済的なものと観ざるを得ない。地方の小都会や農村の若い人々の恋愛や結婚の実際は、その人たちが進歩的であればあるほど、多くの困難にであわなければなるまいと思う。とくに、総領の息子、あるいは家督をとる一人の娘というような場合、これらの誕生の不幸な偶然にめぐり合った人々は、今もって家のために、親を養い、その満足のために、結婚がとりきめられ、そこでは家の格式だの村々での習慣だの親類の絆だのというものが、二重三重に若い男女の心の上に折り重ってかかってくる。
 農村での生活がたち行く家庭で若い人々の負う荷はそのような形だが、貧農の娘や息子の青春は、どんな目にふみにじられていることであろう。政府は東北局というものを新しくつくらなければならない程度に、日本の農村は貧困化している。売られて都会に来る娘の数は年を追うて増加して来ている。矯風会の廃娼運動は、娘が娼妓に売られて来る根源の社会悪を殲滅し得ない。
 小さい自作農の息子が分家をするだけの経済力がないために結婚難に陥っていること、またそういうところの若い娘たちが、また別の同じような農家へいわば一個の労働力として嫁にもらわれ、生涯つらい野良仕事をしなければならないことを厭って、なるたけ附近の町かたに嫁ぎたがる心持。ある座談会で杉山平助氏は
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