の社会生活が過去からもち来している古い重荷のために微妙な曲線を描かざるを得なかった。とくに男女の性生活の新しい社会的認識の面では。
新しい世界観によって導かれたこれらの若き一団の前進隊は、過去からの家族制度に強制された形式的な夫婦関係、小市民風な、恋愛は絶対であるというロマンティックな考えに抗して、唯物論者の立場から、広汎、多岐な人間生活の一部門である性問題として恋愛の科学的、社会的処理を志した。健康で、自主的で社会的責任によって相互に行動する両性関係とその論理の確立を求めたのであったが、一部の人々は、両性の問題だけを切り離して当時の社会の歴史的、階級的制約の外で急進的に解決し得るものではないという事実を過小評価する結果に陥った。
日本における過去の左翼運動の若さは、いろいろの深刻な教訓を我々の発展のために与えているのであるが、性問題の実践にあたっても、若い前進部隊のこうむった被害の最大なものは、いりくんだ作用で彼らの脚にからみついて来ていた封建的なものとの格闘によるものであった。たとえば、女を生活の便宜な道具のように見た古い両性関係の伝統に対して、正当な抗議をしながらも、一部の活動家の間には、性的な交渉をもふくめて女を一時便宜上のハウスキイパアとして使うことの合理化が行われた。女は、ある場合それに対して本能的に反撥を感じながら、組織内の規律という言葉で表現されたそういう男の強制を、自主的に判断する能力を十分持たず、男に服従するのではなく、その運動に献身するのだという憐れに健気《けなげ》な決心で、この歴史的な波濤に身を委せた。性関係における自主的選択が女に許されていなかった過去の羈絆《きはん》は、そういう相互のいきさつの間に形を変えて生きのこり、現れたのであった。
大衆の組織が、短時間の活動経験を持ったばかりで、私たちの日常の耳目の表面から退潮を余儀なくされて後、その干潟にはさまざまの残滓や悪気流やが発生した。いかにも若い、しかしながらその価値は滅すべくもない経験の慎重な発展的吟味のかわりに、敗北と誤謬とを単純に同一視し、ある人々は自分自身が辛苦した経験であるにかかわらず、男女の問題、家庭についての認識など、全く陣地を放棄して、旧い館へ、今度は紛うかたなき奴となり下って身をよせた。
しかし、若い世代は一般的に年齢が若いだけの必然によって、そういう歴史の上での
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