うな真の意味での献身こそが、学者の生活であるべきである。サラリーマンとなる過程として学生生活をしている人の方が数からいえば当然学者になろうとして勉学している人より多いわけである。サラリーマンの生活の下らない、希望のなさ、その日暮しの味気なさについて流行歌まであるのだが、若いサラリーマンたちが、自分たちの生活の無意味さを自嘲的に喋るところだけに、自分のインテリゲンツィアである微かな誇りをもっていることが、私には本当に口惜しい気がする。
日本の資本主義が興隆期であった頃の立身出世が、今日ないのは分りきったことではないであろうか。現実に無くなってしまっているものとの漠然たる対比で、現在を下らながるのは、とことんのところにまだ矢張り昔の立身出世を心に置いているからである。人間らしい生活を営む道が殆どふさがっている。それにも拘らず私たちは生きている限り人間である。従って人間的慾求をすて得ないものであり、生きなければならぬ。自分の日常に人間的なものが尠ければ尠いほど私たちの心はそれを求めて燃えざるを得ない。毎日の平凡な市民的生活の裡に、サラリーマンとしての一見下らない明暮の中で、その時その境遇で
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