く自信がないようになったということも、昨今では決して無くはないだろうと想像される。
 それらの娘さんたちの若い想像力は、そうなったフランスにも自分たちのような娘がどっさりいて、彼女たちはどんな心持で自分たちの遭遇しなければならない歴史のめぐり合わせを生き抜こうとしているかというところ迄思いめぐらしているだろうか。そういう人生と歴史との波瀾そのものが人生であると知って、そこに沈着に愛と思慮とを失わずに生きて、その困難さに於ても、建設の努力においても、より高まろうとする人間性のひきつぎ手として自分の娘としての日々を暮してゆく。そういう一貫性が日本の娘さんにも無くてはならないし、無くては自分がやってもゆけない時に来ているのだと思える。
 今日の若い娘が、もしああもこうも考える力をもっていると云うならば、その考える力を輾転反側の動力として空転《からまわ》りさせないで、考える力をあつめて、生涯を貫く一つの何かの力として身につけなければ意味ないと思う。娘時代の絶えず求める心が描いているままの形で実現されないと知ると、今度はそれを全然思いすててしまうのが、これ迄の娘の習慣のようになっている。そういう
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