おく気分、技術ではない女学校へ通う気分だということは、周囲の扱いだけの責任だろうか。
文学の同好会のような集りへ、工場へ働いている娘さんその他の職場で働いている娘さんが来る。めいめい、何かを求めている心で集っているのだけれど、そういうとき、ごく一般的な文学談を、皆が同じようにやれるということで、現実に安んじない娘さんたちの気分が満たされるとしたら、何か甚だ頼りないと思う。娘として、生活の幸福を思うと、彼女たちも古いしきたりの標準を標準としてうけ入れて、何か働く娘としてではない部分でなければ幸福はつかまえられないように思い、自分としての生活や趣味というとき、そのような性質で何となく考えられている傾きがつよいのが実際だと思う。
大きい買物、小さい買物組と、こういう娘さんとは境遇的にも社会的な立場も全くちがいながら、しかも今日の日本に生きてゆく娘であるということで、職業を持っていることについて、それと連関しての結婚問題について、同じ性質の矛盾と苦しい摸索の気持とを経験しつつあるのは意味ふかいことだと思う。
二十から二十四五という若い娘さんは日本じゅうで何百万人いることだろう。その人たち一人一人の胸の中をきいてみれば、今日何かの意味で自分としての生活をもって、それを職業だの結婚だのと調和させて生きてゆきたいという希望を抱いていない人は恐らく一人もないだろうと思う。職業なり仕事なりに伸びるだけ自分を伸ばして、同時に女としてたっぷりとした妻、母として生きたい願望は一般として痛切なものだと思える。
この点では、大正七八年頃はじめて職業婦人として進み出した時代の若い女のひとたちより、今の娘さんの気持は複雑にちがって来ている。その頃は、職業をもつこと自身が婦人の社会的なめざめの第一過程であるという一つのモラルで見られていたし、その意味では職業婦人は先覚的な若い人たちとしての自信も矜恃もあった。働く娘さんの数は少くて、そんなことを思ってもみないひとの方が多かったのだけれど、職業をもつことを人生的な態度として行った女のひとの周囲には、時代的にその動きを肯定する青年たちもいたわけだった。職業につくということは、或る積極的な方向を示すことであったと思う。
今日では職業は若い娘さんの生活にもっとずっと日常のこととしてくい込んでいて、それが先覚的な人生の態度などというきわ立ったことで
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