はなくなって来ている。いわば自然にそこに身を置いてゆくようなこととなっている。それでいて、一旦そこに身をおいてみると、初めて女として様々のむずかしい問題に直面しなければならなくなって来て、その解決によりどころとなるものが非常に失われているというのが、今日の若い女の社会条件の困難さだと思う。
 どんな娘さんも自分としての生活というものを考え、職業や仕事について考えているが、どんな娘さんも亦そういうことを考える自分に十分の自信と確信とを持てずにいるというのが、今日の現実ではないだろうか。しかも多くのひとは実際の必要からも働いて行かなければならない。
 自信のなさということは、娘さんのきょうの不安な戦《そよ》ぎだと思う。その不安な戦ぎとして、自信のない自分を感じながら、どうかして自信をもちたいと、あちらこちらへそれとない目を走らせていると思う。これでいいというものが掴まれていない。この不安は、社会の動き、世界の動きが目まぐるしいにつれ、世相の推移が激しいにつれ、一層とどまるところのない感じで、若い娘の感情に迫って来ているのだと思う。
 日本の若い娘も、生きてゆく感情の上で一つの大きい成長を遂げなければならない時機が来ているのではないだろうか。その意味でも女にとって画期的な時代に入っているのではないだろうか。あらゆる若い娘が、現実の自分の日々の外へ目を走らせてそこで何かの幸福、何かの自信をつかもうと心を空にいら立つのをやめて、自分のおかれている現実をよく見て、それを理解して、その中からうまずたゆまず自分がこうと思う方向へ根気よい爪先を向けて生きてゆく。そのことに自信を培うしかない時が来ているのだと思うがどうだろう。
 目下のところ、解決された形で示されている若い娘の幸福は一つもないと云えるだろう。人生は激しいものである上に、今の世紀は全世界が動いていて、そういう時代だからこそ益々若い娘の生きてゆくよりどころが、外へ外へと求められて行っては混乱するばかりである。一つの例をとって、ここに働いている娘さんが、余暇に自分のゆたかさのためにアテネ・フランセに通って勉強していたとする。人類の文化の精華にふれてゆけるという或る憧れやロマンティックなもので、フランス語を学んでいたら、今度パリがおちたらフランスは博物館国になっているという風な云いかたをする人も出て、何だかその語学をつづけてゆ
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