から生れるものなのだと思う。ゴーリキイの「幼年時代」「人々の中」「私の大学」などは傑れた文学上の古典であり、人生の塩のような作品だが、これらの作品の中に描き出されている少年青年としてのゴーリキイの環境は実に苛酷なものであった。その苛酷な野蛮な、周囲の日常生活の流転の姿に痛む若い日のゴーリキイの心が、人間社会のよりひろさ、より明るさを求めてどんなに苦心して本を読んで行ったかということは「人々の中」などにまざまざと描かれている。読むこと、読んだことを考えることとその考えでいくらかずつ豊かにされた心で周囲を見直してゆくこと、そのことでゴーリキイは、「どん底」を描き出しつつその「どん底」で腐らされるには人間があまり貴重なものであるという自覚にそって、あれだけの作家となったのであった。
『煉瓦女工』の作者は、いかにも修飾なく「ガラクタ部落」と自分から呼んでいる生活の周囲を描き出している。非常に達筆に描き出している。そういう環境の中でやりとりされる言葉が生活そのもののむき出しであると同様むき出しである、それが反映した迫力をもっている。けれどもこれ迄の彼女が何も読まなかったということは、これからの彼
前へ 次へ
全13ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング