に二つのものを概括してしまうことのできないものが感じられた。
大迫さんには、よほど前、どこかの雑誌の記者として働いていられた時分にちょっとお会いしたことがあった覚えがある。ずっと会わずにいて、新聞の広告を見たときは、思わずハハンという微笑みを感じた。大迫さんも到頭こんな本を書いた。その気持には、あら大迫さんが? という意外さはなくて、どこかで漠然と予期されていたことが実現したような興味であった。つまり大迫さんという娘さんは、こまかい顔だちなどは忘れてしまっている私にさえ、本を書いたことがふさわしく思える一種の印象を残しているような人柄だったのだと思う。
『娘時代』は、随筆風に、現代の娘の心持をある意味では主張し、ある点では反省し、またある箇所では諷刺している気の利いた、才の漲った著書である。娘さんが娘時代をかいている。そこに、高見順氏が序文でいっているように捉え難い今日の若い女性の心理を、典型的な今日の若い女性が自己告白の文章によって描き出したという興味と意味とがおかれている。若い同性の読者たちは、この本のなかに自分たちの気分や気持がそのまま語られていることに多大の共鳴を見出すだろ
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