年、中部フランスの貧しい家に生れ、五つ位のとき母に死なれ、後は父親がぐれ出して孤児院で育った。十四五歳から後は孤児院から農家の羊番娘にやらされ、十九歳ぐらいのとき、巴里へ出て来た。女裁縫師としてオオドゥウの辛苦の生活が大都会のきわめて目立たない一隅で営まれはじめたのであった。
 腺病質で眼の弱かったオオドゥウは中年にいたって、ついに盲目になりたくなかったら裁縫をすてろと医者に宣告された。絶えず病気で、非常に貧しく、ときどきその日のパンにさえ事を欠く彼女は「自分の苦難を少しでも忘れるため、自分の孤独を慰めるため、自分自身の伴侶になるような気持で」ものを書きはじめた。
 偶然のことから二三の作家と知り合うようになり、オオドゥウの作品の特別な魅力が彼らを動かした。「小さき町にて」「ビュビュ・ド・モンパルナス」「母への手紙」の作者、シャルル・ルイ・フィリップも熱心な彼女の支持者であったが、自分のためにさえ何もなし得なかったフィリップにはマルグリットを世のなかに押し出す力はなかった。それをしたのは、この日本訳にも序文の出ているオクタアヴ・ミルボオ「小間使いの日記」の作者である。
 原名「マリイ・
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