のバックのような作家が生れなかったということはなぜであろうかと私たちを考えさせる。アメリカにミッションがあるが日本にはそれがないというばかりではあるまい。日本の昔ながらの支那通、あるいは支那学者といわれた人々は支那の古典の世界にとじこもっていたし、一方きわめて近代化した中国と接触をもっている部分は文化人というよりは政治、実業その他関係の技術家が多く、その接触の調子は特殊なものであった。これらの事情は二つながら芸術作品を生ませるには遠いものである。
 理解とそして愛。この二つのものが私たち人間に人間を描いた芸術をつくらせるのである。

        「孤児マリイ」

 マルグリット・オオドゥウというフランスの婦人作家は、初めは仕立屋であった。モードを創ってブルワールに堂々たる店をもっているような服飾家ではない。ほんとのお針女、日給僅か三フラン(一円二十銭足らず)を得るために、ある時はブルジョアの家に出張したり、またある時は、自家の小さな部屋――ミシンのところへ行くのにはマネキン人形をずらさなければならないという、そんな小さな部屋で働いたりしている貧しい「女裁縫師」であった。
 一八六四
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