ばかりではないと思う。
若い女のひとが結婚の相手として、先ず経済上の安定をもち出して、共稼ぎをしてやって行こうというよりは、この物価の高いとき五十円六十円では赤坊も育てては行かれないと、妙につよく主張する心持の底にも、その程度までは目があいて来てしかもそれから先のことは見えずに止って、情をこわくしている女の今日の低さがある。
さっきの青年が家庭的な若い婦人を、という場合、月給袋の重さで笑顔のちがうような心理の今日の若い女も、自分を候補としておしすすめて来るのは明らかだ。家庭的ということも、ある種の女の心理の底では、男を働き蜂のように見る冷酷さに至っていることを、さっきの青年は知っているだろうか。そして、現代の目先の不安に追われている若い女の心のなかで家庭というものがますます愛の表現としてよりは、日常の安定の台として見られる傾向をつよめていることも見のがせない。家庭というものの本質の崩壊が案外こういう底流によって導かれる。若い世代は結婚への自分の理想を持ちなおすように鼓舞されなければならないと思う。[#地付き]〔一九四〇年五月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
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