こさと金を溜めて、どうやら家を建てるより子供の教育だ、立派な子孫を残すために、小さい碌でもない財産を置くより子供の体にかけようと熱心に貯金していたら、それがどうでしょう、このごろは金の値打は百分の一になってしまったのです。人間らしい義理まで欠いて、つまり自分の人間らしさとひきかえにしてまで溜めたような金が大して役に立たない。食物もなくなって、百五十円のお米を毎日毎日三合ずつ子供に炊いて食べさせられやしないでしょう。どんなに善意をもっていたって、私ども一人一人の力では、もう到底家族を安全に守って行かれません。ところが、ソヴェトの家族の場合は、父親が工場へ行ったり勤め人だったら、労働組合に属している、それから息子も勤めているから労働組合に属している、娘も勤めて組合に属している、三人とも組合に属している。その上教育中の息子と娘とは有給の専門教育をうけられます。これらのひとびとは国民健康保険、養老年金、傷害保険、その他一年、二ヵ月の休暇や、いろいろな条件をもっています。お母さんが病気をしたり姙娠した場合は、働いている人の妻であり、勤労者の妻である、組合員の妻であるということで、組合から地区の病院、産院、或は健康相談所でもって癒して貰える、姙娠すればちゃんと四ヵ月手当がついて休暇も貰える、娘が結婚すればそれだけの条件もつき、社会的にそういう保護をされているから、安心して働くことが出来、よく働くことが、とりも直さず社会的な安全と幸福の保障になります。ここに、人民の民主主義社会の意味があります。若し日本の労働組合の力が強くなり、社会の勤労が直接働く人のためのものとなれば、みんなが組合に属して働いている人であるから、社会全体としてそれを保護するということになれば、個人個人が、自分の人間らしさとひきかえに、冷血になったり、利己的になったりしないでやってゆける条件が出来ます。そういう社会なら、すべての人は勤労することが出来、すべての人は教育をうけることが出来るという日本の憲法も、現実のものとなります。ですから、私たちは自分たちの人間らしい心のためにも、今日の社会を出来るだけそういう方向にもって行くことが、非常に大事であると思うのです。
人間の本能という問題について、田辺元さんその他の人々の間には、こういう考えがあります。人間の本能は不変であるから、社会制度が、たとえどんなに理想的に
前へ
次へ
全11ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング