に無理に追いこまれないんです。お互に若い娘と年とった女の人という関係で一軒の家に住んでいるのです。その父と息子を見ておりますと、冗談をいいあう、大きな犬の仔と小さい犬の仔みたいにふざけている、可愛いいんです。非常に気持が楽なのです。
この光景から、私は漱石の小説を思い出したし、また、沢山の世界の継母、継子のお伽話を思い出したのです。私どもが子供のうちからきいているいろいろなお話の中の継母、継子の話というものは、世界共通のいつもいつも真先に涙を絞らせたテーマです。本当のお母さんがいないために、本当のお母さんが死んだあとに来た人が、自分の娘可愛さに、もとのお母さんが生んだ子供をいじめるという話、皆さんにも御記憶があるでしょう。今日だってそういうテーマのものがあるかも知れません。世界中のお伽話のつくりては、継母と継子、つまり母親を失った子供とあとから来た母親のそういう悲劇を種にしているわけです。私どもの自然な感情は家族の中で無理な形にきめられて、亡くなった母を恋しく思う子供の心に一緒になってやらないで、他人だった人を急に次の日から母親として愛さなければならないという無理な義務を押しつけて、素直な人なつこささえ歪めてしまうのです。ちょうど、それは嫌な結婚の対手についても、婦人の独立がまもられていないから、友達に逢えば年中ぐちをこぼしながら、ちゃんと人格をみとめ合った離婚も出来ないのと同じです。本当よ、それは。私どもの感情というものは型にはめられて、非常に家族の形をやかましくいって、世間態が悪いということを申します。家庭の感情が社会的になっていないのに、生みもしない子供を自分の子供のとおりに可愛がれというところに無理が生じます。家庭の形式をやかましく言いながら、その家庭の中で感情は自然さを失わされるのです。
わたしたちは、自分の家族を本当に安全に守って行くためにはどういうことを現在やっているでしょう。或るかたは、何とかして子供にちゃんとして将来役にたつ教育をさせて行きたいと貯金をされたと思います。金持なら金がありあまっておりましょうから無理じゃないのですが、われわれが貯金をすれば何処かに無理が来ます。食物で無理をしているとか、本を買うことを止めてしまうとか、義理を欠いているとか、人に親切をしなくなってしまっているとか。何処かで人間らしいあったかい人づきあいを欠いて、やっと
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