ことを感じ、建築家は、家とくっつけて絵でも見るから、そうなのかしら、と思うことも少くありませんでした。例えば、父はずっと昔から、いずれかというと、装飾的な要素のかった、色彩的な絵をこのみました。ブラングィンがヴェニスの景色をごく色彩的な効果で描いたのをもっていて、それなど愛しておりました。
家庭で、子供たちの美術的な教養を高めるような努力というものを特別にはしませんでしたが、何かの折にふれ、若い時分の思い出として、高等学校時代にこの祥瑞《ションズイ》を買ったんだよ、なかなか俺も馬鹿にしたもんじゃなかろう、と笑いながら、柱にかかっている一輪差しを眺めていたことがあり、また、今も古ぼけてよごれながら客間の出窓に飾られている石膏のアポロとヴィナスの胸像も、やっぱり高等学校時代の買物で、これを貧乏書生が苦心して買って家へもって帰って来たら、八十何歳かの祖母が、そんな目玉もない真白な化物はうちさ[#「さ」に傍点]いれられねえごんだと国言葉で憤慨し、それを説得するに大骨を折ったと話したりしたこともありました。
金があったらば、父も少しはよい絵を買いましたでしょう。自分ではそれが出来ず、仏蘭西展
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング