カの文化の――いわゆる高度なる文化の――面だけをうつし植えようとすれば、現にこんにち日本代表として外国へ行ける人々が、三井一族その他の特権階級の者であるように、人民すべてのためのよりゆたかな、人間らしい生活を約束するものとはなりません。

          五

 日本の自然と社会の条件に調和される文化というものは、外から押しつけたものではないでしょう。基本的には日本の人口の大多数を占める働く人民の生存が、正当な社会的勤労によって保証されるという条件がまず確立されなければなりますまい。民族の自由と独立ということは、いまの日本のようにひと握りの特権者が、他国の資本主義擁護の政党の利益とむすびついて、自国の人民を苦しみにつきおとしている状態の時には、人民自身の生存と文化の擁護のために闘うべき中心的課題になります。現代の日本の文化の中心題目は、民族の民主的・人民的自立、再燃するファシズムとの闘い、ファシズム文化の害悪との闘いです。文化も人民解放の歴史の刻々の段階に応じて人間的表現の核を前進させつつあります。
 日本のわたしたちにとって、もっとも警戒すべきことは、封建的権力とファッシズムが、民主的という面をかぶってあらわれることです。

          六

 科学的真理という場合、当然自然科学と社会科学とが考えられます。社会科学が現代新しいファクターを加えつつ人類の社会の発展の法則をわれわれに示していることは、説明を必要としません。超階級的と思われてきた自然科学の法則が、支配階級の権力によって使用された場合、そして、その権力が侵略的であったとき、科学の真理は毒ガスとなり、爆弾となり、おそろしい殺人を行いました。地球はまわるといったガリレオ・ガリレイは、宗教裁判にかけられました。原子力の法則――科学的真理――を人類の幸福のために使うか、もっとも富める資本主義の代表者たちの特権を守るために使用するかということは、現代の人類の理性にかけられた課題です。
 自然科学の真理そのものが、直ちにそのもので階級的真理ではないにしろ、科学的真理を現実の社会に活用してゆく力の階級性――それが幸福をねがい、平和をねがい、よき人生を求めている世界の働く人民であるか、それともありあまる富と権力とによってさらに強力なスリルと利潤とを、世界人類の基礎の上に一ばくちしたいと思う者によって使われるか
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