どうでしょうか。科学が一つの歴史的情熱となっているソヴェトと比べて、日本の科学はどんな扱いをうけているでしょう。知能労働者はこちらでは休みの家もなく、業績に対して社会的保証がありません。社会主義的民主主義の社会では、文化の仕事に従う者が、知能的労働者として非常に多くの社会的保証を受けていることは、やはり今私たちのまわりにある文化よりは、文化の正しいあり方だと思います。勤労者のいろいろな才能ののばされてゆくモメントも、資本主義社会の偶然性よりはひろい確かな公共的地盤をもっています。独占資本の独裁、商業主義の独裁のもとにおける文化の悲しむべき境遇について、ロマン・ロランが闘ったように、アインシュタインが闘いつつあるように、私たちは闘わねばならぬと思います。これが当面の任務です。
社会主義社会での文化の諸問題――わたしとしては文学を主に考えますが、現在のところ世界各国は、社会主義国の文化の画一性を批難することが好みにあっているようです。しかし、この問題もいろいろ興味があって、人類社会のプロセスの一つとして、ある一つの社会成員が、ワンダ・ワシリェフスカヤの「虹」のような生存防衛の意識に、自発的に結集し得るようになった歴史の段階は、やはり一つの新しい一歩です。ソヴェトの防衛ということは、わたしたちが外からデマを通じて理解するよりも、はるかに基本的、人権的問題ですから。
たとえば、社会主義社会の子供の教育は、階級の意識で画一されているという点が指摘されるけれども、私にいわせれば、子供を教えない大人というものは天下にいません。どうせ子供が教えられなければならないのなら、ファシズムや気狂いじみた民族優越主義や『国のあゆみ』、『民主主義』のような歪められたもので或る時期をひきまわされ、やがて、理性が発達すればもう一遍、現実認識の方法を自分でもちなおさねばならないような教育をされるよりも、世界の各種社会について、リアリスティックな知識をうける、或はリアリスティックに見る方法を得るという意味でましだと思います。
四
アメリカ式民主主義というものの本質は資本主義です。したがって、その文化は、ゆたかな人々のために世界で最高の開花をとげていますが、貧しい人々、失業者たちの生活は、やはりじゃがいもを買うことに苦心しています。日本の資本主義の歴史的な弱さの上に、アメリ
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