浜国道がとり入れられ、いずれにせよ、大部分享楽的消費的生活雰囲気との連結におかれている。このことは、菊池寛氏の小説においても否定し難く顕著なのである。
ところが、他の一方には、同じ東京という一つの都会であっても全く異った自然の眺めをもち、あるいはほとんど自然のながめと呼ぶこともできないような煤煙だらけの空、油の浮いて臭い河面、草も生えない泥土の中に生きているおびただしい勤労生活者の人生がある。ここの中から過去の歴史になかった文学が生れはじめている。安らかにそこで休安することのできるような自然らしい自然を持たない民衆の生活の闘いから誕生する文学が、現れはじめているのである。その文学の中で、自然の美は当然最小限にしか、その断片しかありようがない。自然が、歪んだ社会条件でどんなにひどくきりこまざかれているかという、その姿がある。
では、とかく牧歌的な空想をもって文学に扱われて来た田舎ではどうであろうか。これに答えるのは、今日の農民の貧困の現実がある。農村の生活で自然の美を謳うより先に懸念されるのはその自然との格闘においてどれだけの収穫をとり得るかという心痛であり、しかも、それは現代の経済
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