を叙し、しかも根本を貫いている思想は、自然への逃避を志す東洋的態度の旧套を脱せず、人間と自然との二元的な相対の中に道徳的、哲学的感慨をこめているのである。ロマンティストとしての蘆花がよく現れている。田山花袋は、この前後に発表した「田舎教師」の中で、まことに根気よく、水彩画のように利根川べりの自然を描写している。「田舎教師」をよむと、写生文の運動というものが日本の文学の発展のために益した点がわかる。少くとも自然を描こうとする感情の中から余計な支那的誇張、風流の定型、哲学的衒学を洗いすてようとしたことからだけでも、写生文の運動は相当評価されるべきであると思われるのである。
現代の文学において、自然というものは、きわめて特徴的な歴史的地位におかれていると思う。文化の都会集中的傾向は富の都市集中を社会的根底とするから、文化機関の都会集中を結果した。職業的作家の大多数は都会に住んで、都会的な文学を生産している。従って、文学における自然の範囲は、街頭、公園、近郊に多くとどまっており、あるいは通俗小説の場面としては落すことのできない近代スポーツの背景として北国の雪景、またはドライヴの描写としての京
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