れらの事情をかえりみると一緒に、わたしたちは真面目に一つのことを反省しなければならないと思う。それは日本の封建性の圧迫をつねに感じていて、そのために感受性が異常になっている日本のインテリゲンチャの間には、一九二八年以来、奇妙な自己撞着があるということである。その自己撞着は、いつも自我の解放、個人の運命の自由な展開ということについて熱心に念願しながら、いざその実行に立たなければならないという時には、きまって何かの影におびえて動かないような理窟を見出して来たことである。
 ちょっと見ると不思議に思えるこの現象は、人民戦線時代の文学の論争を見ても明瞭である。社会主義リアリズムの論争についても微妙な特色となっていた。そして今日、またこの苦しい自己撞着が自我の確立の問題についてあらわれている。
 わたしたちは率直にならなければならない。わたしたちの求めるものを、真実に求めなければならない。日本と中国の新しい民主主義が歴史の深いたたみ目をもっていて、民主化という一つの言葉の中に、ヨーロッパの二世紀と今日のもっとも前進した民主主義とを包含しなければならないという歴史を否定しないならば、自我の問題も世
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