私のところまで御消息はつたわって来にくくなっている。そこに、何か私たち女の生活の推移を暗示する、無限の余韻を感じずにはいられない気がする。先生よ、幸にお健やかでしょうか。
 師といえば、私の作品を初めて紹介して下さった坪内逍遙先生のこともふれなければならないわけである。
 坪内先生とは余り年代がちがいすぎていた。それに私としての結ばれかたが他動的であったことなどから、外面には大きくかかわりながら、語るとなると消極なあらわれかたになる。流達聰明な先生の完成された老境というようなものと、私の女としての四苦八苦のばたばた暮しとは、我ながらいかにもかけちがった感じだった。
 その親にたのまれて一二回作品を見てやったというだけの若年の娘にも、先生はお目にかかるかぎり懇切丁寧で、ふさわしい親切をもって対して下すっていた。しかしながら、その豊富な経験のなかでは、自身創立された文芸協会で、抱月と松井須磨子の二つの命をやきつくしたようないきさつに接して居られる。また、一度はそこで女優になろうとして後作家となって盛名をうたわれ、幾何もなくアメリカに去った田村俊子氏の生活経緯を見て居られることもあって、女性
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