ている。女房は便利な家庭常備品という位にしか考えていないという一般の通念が反映しているではありませんか。
現代社会の現実はそのように人間の愛情をも低下させ貧弱なものにしているから、私達は一つの例外な行為として松本氏の栄子さんに対する愛情の表現に目を見張ったのです。
私は、松本氏がああいうやりかたで自分の真情を吐露されたのは、それで松本氏の気がすみ、生きる力となったのなら、よいではないかと思います。栄子さんもそれを楽しみ、死ぬときも良人としての松本氏の俤《おもかげ》を心に抱いて逝かれたとしたら、松本氏はまじり気なくあの当時の打撃によって、「自身の妻としての栄子[#「自身の妻としての栄子」に傍点]」に対する何か特別な、何か心持を満す表現がほしかったのであろうと察せられます。只、私は、妻に対するそういう謂わば非常に感覚的な苦しい愛情の表現の形式として、松本氏が三々九度の盃というやり方をとられたところに、氏の生活形式の内に根づよくのこされている古風なもの、封建的なものを感じただけです。
愛情に対してそのようにこまやかな松本氏の性質と地位とが明らかとなった今日では、きっと多くの若い婦人の関
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