ダム・キューリーが一九〇四年のある朝、アメリカのある会社からラジウムの独占とその独占経営を申しこんで来た手紙に謝絶の返事をしたためた、その心情をわが胸に感じとることはできる。文学者にとって科学の成果は学問としての理解の点では、おそろしく素朴ではあろうが、常にヒューマニスティックな関係において、うけとられているのである。偉大な科学者たちが、科学力について、時代おくれの常識家が云うとおり「文明を脅威するもの」とみずから考えているとしたら、わたしたちは深いおどろきを抑えかねる。
 原子科学は最も新しい人類の獲得物であるから、おそらく科学者自身もおそらくその「科学的発見の驚異」の途上にいるのであろう。新しい発見者、魔力のよびさまして、としての責任感に目ざまされてもいるであろう。それらは皆自然である。そしてその人々の人間らしい親愛を感じさせる。だけれども、科学者の仕事を通じて、たとえば原子力を文明が脅威をうけるものとしたのは、「資本」である。「科学上の発見の驚異」は巨人的な資本の脚によって運ばれ、忽ち「科学生産力の驚異」を示威する段階に立ち至った。科学は非人間的である。資本が利潤を追求する本質も
前へ 次へ
全14ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング