はいられない。「文明が脅威をうけるのは科学者の仕事を通してであったが故に」と。――しかし、同時に、これらの文字は、その純真さにかかわらず、科学と社会との現実関係を、何と素朴に或いは遠慮がちに言いあらわした表現だろう。
 科学者の多くの人々が、彼らの偉大な研究のためにいそがしくて、「アメリカの悲劇」「アロースミスの生涯」「怒りの葡萄」「ラニー・バッドの巡礼」「アメリカを支配する六十家」その他をよむひまがないとしたら、残念なことである。
 世界の多くの文学者は、科学について素人であり、たまに小説の中へ科学をとり入れたとき、科学そのものの描写では屡々専門家に指摘される失敗もしている。(「スクタレフスキー教授」「凱旋門」「チボー家の人々」など)けれども「アロースミスの生涯」のテーマの角度から――科学的良心と現代社会の関係を扱ったとき、文学者は、その関係の生ける姿において把握することに成功している。原子学説についてどこまで知っている文学者が、現代にいるだろう。わたしたちは、ほとんど無知である。だけれども、現代のリアリティーとして、ナイロン王デュポンが、水爆王になりつつある過程は明瞭に理解する。マ
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