お戦争の根絶されるべきものであることは主張されなければならず、そのための人類の努力は継続されなければならないものだ、という事実について。
こんにちの特徴は、そういう考えかたをしているのが決してフランスの女学生ばかりでなく、ましてやわたし一人のことではないという事実である。過去五年の間、日本の新しいヒューマニティーの成長のために何かの希望と善意を示して来たすべての人々、なかでも文学者は、現代の世紀の良心の前にすでに正直な自身というものを露出させて来たのだから、たとえ六月二十五日以後、どこにどのような事態がひきおこされようと、もう、かつての時のように、先ず自身の精神を韜晦《とうかい》して屈従の理論をくみたてるという芸当に身をかわすことは出来ない。
日本の明日への精神と知性にとって、この事情はいいことだと思う。まっすぐに、自身の善意に耐える意志を発揮してゆくこと。そのことを通じて人及び文学者としての自身の価値に歴史の上でのよりどころを再確認すること。現代文学はアジアにおける日本の住民がおかれている立場の必然から、何かの道を通じてこの過程を通らないわけには行かない。ひとり、ひとりの文学者が、彼あるいは彼女が生きてきたすべての能力をあつめて、現代史の示している本質的な課題をどうその生活と文学とによって生きとおすか、世界文学の中で、日本の現代文学が何ものであり得るかということは、きわめて厳粛なこの課題が、どう答えられてゆくかという現実によって決定されてゆくのだと思う。
世界文学は、平面の関係だけで観察され、評価されたのでは全く不十分になって来ている。こんにちでは、ある個人なり、より大きい集団、あるいは民族の成功なり、栄誉なりが、単に成功とよびならわされている結果、栄誉とよばれて来ている結果からだけ見て尊敬されるという、中世的な評価の基準はかわって来た。その成功とよばれているもの、その栄誉と称されているものの実体は、現代の人類の問題にどんな角度で作用しつつあるか。そこを客観的につきとめようとする精神がひろく、絶え間なく活動している。ジョリオ・キューリー博士にとっては、ノーベル賞が彼に与えた名誉ある[#「名誉ある」に傍点]原子科学者としての地位を守って人類の敵となるよりも、その地位を罷免されて、人類の友たる名誉を守った。人類の社会生活、人類の発展全体について、これはどういう意
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