味をもつ事件であるか。こんにち人類は、いつの時代よりも自身の運命について、真面目にならざるを得なくなっている。研究的にならずにいられなくなって来ている。
一九四五年八月、ナガサキとヒロシマで原爆が実用された結果、新しい脅威が地平線にあらわれた。その脅威はその後の五年間に段々上昇して、いまではまるで地球の真上にいつ爆発するかもしれない脅威として漂っている。あきらかに恐慌が、人類社会におこっている。平和の問題、原子兵器禁止の問題を、こんにち、別の云いかたで表現すれば人類はたった二十世紀で、自身の発見した原子力によって壊滅してしまわなければならないものなのか、それとも、より発展した多数者の理性の協力で、原子力を支配する力[#「原子力を支配する力」に傍点]をコントロールして、もっと高次の、幸福のある社会生活に進むことを可能としているか。平和の問題は人類の生へのたたかいとしてあらわれている。
一九四八年の四月、アインシュタイン、ハリソン、ブラウン、フレデリック、セイツなど六人の自然科学者が、プリンストンで警告声明を発表した。「文明が脅威をうけるのは科学者の仕事を通してであったが故に、科学者は世界において特殊な責任の地位にある」「原子爆弾は、われわれが人類の存続を考える限り、それを大規模の戦争に用いることを望んではならぬ程度まで発達している」と。
原子力が人類の殺戮の武器であってはならないことを確信して、その禁止と平和のために行動している科学者はジョリオ・キューリー博士はじめ、世界各国おびただしい数にのぼっている。ストックホルムの平和大会が世界に原子兵器禁止のアッピールを行って、数億ちかくの署名をあつめつつある。そこには、社会のあらゆる面に活動している人々――労働者の組織、キリスト教の団体、婦人、青年少年の団体、各種の文化専門グループの人々が加わっている。
世界の良心的な文学者が、原子兵器禁止を支持し、平和のために発言しているのは、ただ現代の人類的な課題をうけもっているというだけの現象なのだろうか。それとも、そこには何か文学者として独自に現代史の中に見出しているよりどころがあるのだろうか。
アインシュタインその他の人々のプリンストン警告声明を、きょう改めてよみかえすと、わたしたちは、そこにあらわされている偉大な科学者たちの、極めて率直・善良な責任感について感動しないで
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