私の見た米国の少年
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)紐育《ニューヨーク》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二〇年十一月〕
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去年の丁度秋頃の事でした、私は長い旅行に出掛ける準備で、よく紐育《ニューヨーク》市のペンシルバニアと云う停車場へ行き行きしました。其の停車場は、北米合衆国の首府である華盛頓《ワシントン》の方へ行く鉄道の起点なので、東京駅などよりはずうっと大きな建物の中は、何時行って見ても沢山の旅客で一杯に成っています。手にカバンを下げた人や袋を持った人々が、さもいそがしそうに、出入りする中に混って、大きな黒人の赤帽が、群を抜いて縮毛の頭を見せています。
紐育と云う市は、何方かと云えば商業の中心地でありますけれども、華盛頓は皆さんも御承知の通り政治の中心地で、米国にとっては心臓のように大切な処ですから、此の二つの主な都市の間を往復する人の数は、一日に幾千人ありますか、何しろ大したものなのです。私は華盛頓を通って、ずうっと南の方へ行く計画で有ったのです。
ところで、或る日の午後、少し雨降りの日でしたが、矢張り同じ用事で其のペンシルバニア停車場へ行きますと、彼方ではホールと云う丁度東京駅の入った許りの広い処と同じような場所の片隅に、如何したのか大勢の人が立ち止まって何か聞いているではありませんか。米国人は非常に時間を大切にする国民です。歩くのにも散歩でない時は、ちゃんと行くべき処へさっさと行って、用事がすんだらさっさと帰って来ると云うような風なのです。其ですから此那忙しい停車場の真中に其丈沢山の人が塊まっている事等は滅多にありません。一寸おや珍らしいな、と思って覗いては見ても、其が何だか解って仕舞えば、もう何にも見なかったと同じように歩き出すのが彼等の癖です。其故、私は、思わず何事かしらんと怪しまずには居られませんでした。勿論、私は其方へ近づいて見ました。すると、大勢の人垣の中には、唯一人の少年がしきりに何か話しています。まだやっと十一か十二位の少年が、手に小さい帳面と鉛筆と、何か印刷したものとを持って、一生懸命に話しているのです。沢山の、思い思いの風をした大人は、皆相当に感心したらしい様子で、其の髪の金色な、赤い果物のような頬をした少年の言葉に耳を傾けているので
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