語った。その地方では六十歳以上と子供とは一日一合八勺ときめられているのだそうだ。近所にやはり六十を越したひとりもののお婆さんがあって、その年よりは他家の使い歩きをしたり、物を運んだり、山へ行ってきのこをとって売ったりして、ひとりの生計を立てている。六十を越したからといって一合八勺の米ではその日がしのげないので、どうか一人並に増すように願って下されということをその婆さんの家へたのんで来た。お婆さんは娘婿の家にいて、そこが隣組長をしているのであった。その計らいができて、きのことりのお婆さんは三合五勺を貰えることになった。お婆さんは手を合わせてよろこび、そのお礼にといろいろのきのこをこの秋はもって来てくれたそうだ。きのこを貰う側のお婆さんの婿がなまじ隣組の長をしていることは何と気の毒だろう。よそのひとが長をしていてくれれば、そのお婆さんのかいがいしい朝夕を十分話すこともできただろうし、したがってあんな淋しそうなあきらめた顔つきで姥捨山の糧の量のような話をしないでよかったであろうのに。私は生涯を子と孫のために働いて、今なお勤勉なお婆さんのために一合八勺の米をふやしてやりたい心をおさえかねる。
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