た家の屋根を葺いたのは、憐れな妻子の手であって、国家の手ではなかったことを見出している。この人達は、自分の強いられて来た大きい深い犠牲に対して、どんな真実の償いがされていることを見出しただろう。権力に強制だけあって誠実の皆無であったこと。人間に対する真実の拠り所が心の内で失われた感じ。その虚無的な心持をどこへ、どう建て直すべきだろうか。人民に絶対服従を強いて来たこれまでの抑圧は、彼に正当な人民の権利の自覚に立戻って自分の破滅を救う方面に順序だてて物を考えさせる自主的な判断力は与えていない。義理も人情もない扱いを受けた、という深い深い傷つけられた感情は、不幸に強いられた無智から、大局より見れば、同じ強権に苦しめられた被害者仲間である市民の間に向けられて来ている。法律の上では、押入った人々は加害者であり、侵入された市民は被害者である。けれども、人民の生活と、それを徹底的に傷つけた支配階級の関係を実際に立って観察すれば、兇器を持って私達の生活を攪乱するその人々をも含めて、私たち人民がすべて、強権と犯罪的な戦争による被害者である。
 このことは明瞭に自覚されなければならないと思う。そして最も不幸な加害者の形で現れている被害者の一部をもこめて、私達全人民は、女も男もこの破局から自分達の前途を救い、民族を高めるのはただひとつ自分達の結集した力の合理的な運営があるのみであるということを自覚することは、もう決して早すぎない。おそすぎたとしても早すぎることはなくなって来ている。
 私共全人民の前には、重大な生活上の問題が押し並んでいる。先ず食糧問題に対して、政府は今日までどんな具体策を講じ得て来たろう。強権を発動して供出をさせると脅かしたり、輸入米が出来ると気休めをいったりするけれども、つまるところは、米の価格吊上げという、一層人民生活を破壊する方法しか実現していない。人民の生活を破壊した政府は、どれだけの実力を以て、今日その再建をするというのだろうか。いくつかの実例について見よう。昭和二十年十一月の初旬、日本の帝国主義侵略戦争の動因の一つである財閥の解体命令が連合軍司令部から発せられた。三井、三菱、住友、安田の四大財閥が解消せられることになった。日本を破壊に導き、七千万の人口を限りない苦痛に陥入れている財閥が、解体せられるということは私達の心に、何となしこの社会も、公平に向いつつあるという希望を与えた。総ての新聞が、この処置に賛成の声を挙げて、人々の投書を載せた。成程、これらの四大財閥の、中心的な機構は変化させられたし、或る企業の一部分は完全に解消させられた。ところが、ここに政府の戦時利得税、財産税についての法案が臨時議会を通過した。先達てラジオで読売新聞社の論説部員が、非常にはっきりと分りよく、私達の生活にとって、この戦時利得税と財産税というものが、どういう関係を持っているかということを説明してくれた。それによると戦時利得税は、戦争によって国内に生じた富の偏在を調整するために、少からぬ道徳的な意味をも含んだ性質のものの筈である。誰が考えても、戦争によって多大な犠牲を払い、生活を根本的に壊された人民大衆に対して、ほんの一部の軍需生産者ばかりが、巨万の富を積んで、謂わば彼を富ましたため社会事情によって惹き起された苦痛な食糧問題にも、住宅問題にも、インフレーションの不安にも、かけ構いない贅沢な暮しをしているということは、納得の行かないことである。その人達が、戦争という人類的な犯罪によって得た不当な利得を吐き出させられるということは正当の処置と思われる。
 財産税にしろ、要らない金と、要らない土地を独占して、社会経済不調和の原因をつくっているよりは、一定限度に、富を平均化して行くということは肯かれる。ところが、ラジオの解説によると、戦時利得税徴収の方法と、集めた金の処分方法は私たちに極めて奇異な感じを抱かせる。一定以上の高額税は、四ヵ年支払延期の許可がある。毎日の暮しを見ていれば、僅か三ヵ月でさえ経済事情は大変化しているのに、これから先四ヵ年の日本が同じ経済事情でのろのろと這って行くものと、誰が思おう。四年間の猶予ということは、取りも直さず、ずるずるで払わないでも済んでしまうという可能性をもっていると、その解説者も明快に説明した。それは数十万円の税金を払う最も多額の利潤を得た人々のために、政府が考えてやっている便法である。より少い、より僅かしか儲けなかった人に課せられる税は、率は少くても利潤の大半を引攫うものであろうが、それに対しては猶予はないのである。彼等の戦時利得の規模は、不幸にも、政府を買うだけの額に達していないという意味である。
 集めた税はどう処分されるのだろうか。私達は、その金を基礎として、当然人民の日常生活必需を充たす方法が考えられているのだろうと思っていた。しかし政府がしようとしていることはそうではなかった。その金で、戦時公債償却をするということである。それから軍需生産者に、補償金として支払われるということでもある。公債を私共の家庭で、どれ程持っているだろう。解説者は、大衆の中には一割位しか保有されていない公債であると言った。あとは大銀行、大企業家が保有している。その公債を償還するといえば、そのいきさつは最も単純な頭でも判断される。政府は、右の手から取った金を、同じ人間の左の手に握らせ、返してやるのだということは。……軍需生産に対する補償にしても、右の足に穿いていた下駄を、左にはきかえるというだけのことである。財産税について見れば二万円を限度としているらしいが、今日の金で二万円といえば、一円が十倍になっているとして二千円の実価に過ぎない。二千円と換算しなくても、日本の農家はこの数年間に経済事情を一変させた。二万、三万の現金を持っている農家は少くないであろう。都会の勤人にしろ、仮に今日の価格で見積れば、体一つにさえも一万円近いものは着けて歩いてもいるだろう。二万円という査定はどのようにされるか、これは重大な問題でなければならない。そしてこの財産税もつまるところは、また形を変えて最も富める者から順に大衆へと返されて行く。こうして見ると、それが発表された時には、さも財閥に対する正当な良心ある統制のように思われた戦時利得税にしろ、財産税にしろ、細かく本質に触れて観察すれば、それは悉く、大衆課税としての性質を持っている。この点はラジオの解説者が力説したところであった。
 物価の狂気のような昂騰につれて、昭和二十年十二月は一ヵ月に一億円の貯金引出しが行われた。人民大衆は、命に代えた労苦や、はかない僥倖によっていくらか蓄積した貯金を、今日そのような勢いで消耗しつつある。そういう人民大衆が最も直接に最も容赦なく戦時利得税にしろ、財産税にしろ支払わされる立場になっている。……しかも、その金の行方は実際的には何の課税もないと同じな大財閥、大企業家に、政府が再び形を変えて払戻してやる仕組になっているのである。財閥解体は一つの表面上の見せかけに過ぎない。なぜならば現に貿易庁というものが設置された。賠償物資、見返り物資の輸出入を司り、国内生産の要を握るこの役所に、頭として据えられたのは三井である。三井は、日本の再編成された全企業を統率しようとしている。この事実は日本の政府が、一貫して財閥の走狗であり、財閥の利益を擁護することによって自分の利益をも擁護している人間の集りであるという事実を、告白しているものだと思う。現在の支配者の利害は、全人民の幸福と利害と一体ではないのである。
 臨時議会は民主化する日本の歩みを示すように、労働組合法案を通過させた。この法案によって、ようよう勤労者が自分達の権利を自覚し、それを組織し、企業者たちの全国的な生産サボタージュと闘う行動に移しはじめて来た。昨今新聞が伝えているのは何かといえば、二月一日の「四相声明」である。これは労働組合法によって、ストライキの権利を持ち、集団的行動の自由を獲得した勤労大衆を威嚇しようとして「暴行脅迫又は所有権の侵害の虞ある場合にはそれを不法行為として断乎取締る。」という声明が、内務、司法、商工、厚生四人の大臣によって、発せられたのである。新聞を一枚でも読む人は、このような取締方針を布いて、生産に従う人々が生産を高めようとするために、企業家に対してとる必要な行動を統制している権力が、たった一つも資本家のサボタージュを取締る方策を立てていないことに注目するであろう。総ての新聞は、この点を衝いた。若しストライキが起るとすれば、若し大衆的行動が現場に起るとすれば、今日、それは勤労し生産する者が単に労働条件を改善するというばかりでなく、社会的必要を満たすためにより能率を増進し、より生産を増大させて、生産の真の民主化を計ろうとするためである。よりよく働こう、よりよく社会のために生産し、不安を解決しようとする勤労者らしい自主の熱心をもって、労務階級の利害判断と共にサボタージュしている企業家を刺戟するためである。総てのストライキと勤労者の行動の根本には、企業家の悪質なサボタージュがある。ストライキする労働者に対して、彼等は工場閉鎖で脅かす。働かないで食えるのは、企業家たちである。政府が最も「断乎」糾弾すべき本体は、このサボタージュのそれにある。しかし政府は、このことについては沈黙を守っている。自身、その企業家サボタージュと双生児《ふたご》の性質を持っている民主化へのサボタージュをやっている政府が、どのような決定的方法を執り得るというのだろう。
 最低賃金というものが公表された。二十五歳から五十歳までの男子最低四百五十円。これは成程今までの諸官省の据置月給のひどさから見れば、一応適正な処置である。しかし家計簿と最低賃金四百五十円也というものを睨み合せて見ると、不思議なことが起る。国鉄の非常識な値上、公定価格の全般的吊上げ(タバコをも含む)が発表されている。今日、疎開している人口は、どのくらいあるか、疎開した学生の数は何人あるだろうか。疎開した勤人、疎開している学生は、都会の住居難から、たいていは遠距離を通勤、通学している。その人達の交通費は、この度の国鉄の値上によって、非常な打撃を蒙る。或る家庭は距離の関係から通学している息子のために一年に千円の交通費を予算しなければならないということになった。一家から主人と息子が遠距離通勤、通学していると仮定すれば、それだけでも最低賃銀四百五十円はどんなに脅威を感じるだろう。
 更に瞳を転じて先程の戦時利得税、財産税ということをかえり見ると、これらの支払わなければならない税金は、やはり外見上、ましになったような四百五十円也の上にかかって来ている。そう考えると実質は果していくらの引上になるのだろうか。この計算は非常に難かしい。小倉金之助博士もこの関係の微妙さは、簡単な数字で現わせない、と言うであろう。
 男子が四百五十円、女子は百五十円、この差別がまたまた尤もと思われない。男と同じに仕事に熟練し、永年勤務している婦人の能力は、現実に三分の一の価値しかないものであろうか。労働組合法は、同一労働に対して同一賃銀ということを、男女勤労者共通の立場に立って主張している。政府はその法案を通過させている。しかも現実には、女子最低百五十円也と示している。土地の有償自作創立案を政府が発表するや否や、日本中の大地主たちは、忽ち親族間に土地を分割しはじめた。そして小地主の土地をとり上げはじめた。
 そもそも婦人参政権を認めたにしても、極めて形式的で誠意のないことにおどろかされる。婦人に参政権は認めても、民法、刑法上の婦人の差別待遇を変える意志はないと明言されていることも変妙であるが、日本の婦人が、公民権をもたないで、いきなり参政権を得ている事実には大いに注目しなければならない。公民権は、市、町、村等自治体の運営に参加する権利である。婦人が、公民権をもっていないということは、多勢の積極的な婦人が、自分たちの住む市、自分たちの暮している町や村で、直接身ぢかなところより政治の自主化、民主化に
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