、当時の標準で、いくらかは医学の知識も学んでいたのだろう。それにもかかわらず、女に向うと益軒は、女が男よりも弱い体を持っているということさえも無視している。子供を持つためには、女の生理的ないろいろの条件が、十分守られ保護されなければならないという事実さえも無視している。そして睡眠不足、粗食が守るべき女の規則として提出されている。今日、少し常識あるものは不姙が女だけの責任でないことを理解している。益軒の、性生活に対する注意事項を見ればその間の消息に通じない男でもなかったらしい。しかし、封建的な家というものに女を隷属させて、家を継承する男の子を生む者としてだけ女を計算した封建家族制度の立場は、男のそういう目的に反する全責任を、女に投げかけているのである。
女大学が繰返えし読まれたのは、中流の武家階級であったろう。貴族と町人とはそれぞれの社会的な理由から、現実に益軒のモラルは蹴飛ばして生きていただろうと思う。
徳川の末、日本文学は興味ある変化を示した。その一つに、近松門左衛門の文学がある。彼の作品は、浄瑠璃として作られた。日本文学史の中で、近松の作品が持っている最も本質的な価値は、この封
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