立場から婦人の労働というものは全く悲劇的に、人民生活の破綻のために追立てられたのであった。アメリカとソヴェトとイギリスと中国、連合国側の婦人の労働力は、同様に強度に動員されたとしても、戦争の本体が平和の防衛のためであったから、現実にさまざまの問題は持っているにしろ、彼女達の犠牲も究極においては平和の建設というはっきりした目標を持っていた。しかし、日本婦人の労働力は第一、そういう人間らしい目的を持っていなかったし、国内の封建的な、そして又資本主義的な二重の搾取の方法は、この大河内の農村の工業化のような方法をあらゆる部面にはびこらして、社会的に発言権の少い婦人と青少年との上に重くかかって来たのであった。
農村の労働が男子出征に伴って、全く婦人の肩にかかったということは、説明する必要もない。女子青年が先に立って、婦人の馬耕競技会、草刈競技会、その他農業労働の重い部分を、どんなに女が成し遂げて行くかということを競争させられたし、農村における軍需食糧の供出は、又馬糧その他の供出は、都会に生活している婦人が察しもつかない程猛烈なものであった。農村では全く自分の家の梅の実さえも自分勝手に梅干に出来ないという状態で暮して来た。食糧の計画的生産、計画的配給は日本では手後れに計画されて、しかも各生産部門における能率低下の原因と反比例する増産の必要に追立てられた。男手を失った農村の婦人達が、割当だけの供出量を生産して軍需を充たし、なお自分のところへ幾らかの余剰を残すためには、肥料のない、馬のいなくなった、男のなくなった田畑の上で、骨が軋むばかりの辛苦を凌いで働きつづけて来たのであった。婦人達が燃料の欠乏、シャボンその他の洗剤の欠乏、繊維が悪くなって洗えもしないスフの製品が殖えたことなどで、毎日の婦人の仕事が一層困難になって来たと同じ時に、農村の婦人達が田圃で働く木綿着物がなくなった。手拭は足りなくなって来た。肥料・農具も足りない状態になって来た。実際生産用具はそのように欠乏に欠乏を重ねて来るのに、増産の必要は昂まるし、一方には正規の増産とその配給とを攪乱するような農業会、統制会、闇売買が横行して、農村では近年の一つの病的な社会現象として、物がないのに金はあるという状態になって来た。曾て日本の農村は一戸当り数百円の借金を持っているということが統計に言われて、農民の負債はいつも大きい社会問題になって来ていた。ところが最近数年の間には、全く逆の状態が現われた。つい先達てまで日本の農民は平均一戸当り一万円近い現金を保有しているということが報ぜられている。それで農村婦人の生活は、本質的に幸福になっているのだろうか。都会の勤労婦人に比べて、農村の婦人は食物は豊富であろうし、焚物も豊富であろうし、物と交換でなければ野菜一つ売らない習慣が出来ているから、おそらくは物にも不自由することが少いであろう。けれども、農村からどっさり前線に送られている男達は、まだ何百万と還って来ていない。夥しい戦死者がある。戦災を被った都会からの転出者との生活上の摩擦、昨今の供出の難かしい問題など、それは農村の封建的な土地との関係、家族の関係などを引くるめて、決して農村婦人の生活を、これまでよりも負担の軽い、楽しい明るいものとはしていないのである。
昭和二十年の始まりから、日本は猛烈な空襲を受けるようになった。大都会という大都会が被害を被り、多くの小都市が焼かれ、村々も軍事施設の余波を被って思いもかけない被害を受けた。この頃から軍需生産が急に能率を低めてきたと共に物価が上り始めた。昭和十六年以来昂まって来ているインフレーションは、表面上の労働賃銀をぐんぐん上げて、その頃までは物価の昂騰と労働賃銀の増大とはほぼ釣り合いを保って上向きに来たのであった。けれども、この頃を境として生活費の膨脹は熱病患者の体温計のように止めようとしても止まらない力で上昇した。しかし、労働賃銀というものはあらゆる場合に、物価高に追付くことは不可能であるから、二つの間の開きは破局的に大きくなって来た。このようにして総ての基本的な面で人民の生活が破綻し始めるにつれて、政府はそれに対する真実の対策を立て得ないから、ひたすら威かしつけることで戦争を遂行し表面の統一を保とうとして来た。一つの政権が、社会に対して現実の政策を失って、警察、憲兵の力で人民を沈黙させているという状態に立到った時は、もうそれは、支配的権力として存在する価値を失っている証拠である。例えば母親が落ちついて道理に従って子供を訓戒することができる間は、子供は母親の言うことも聴くし、親であるという尊敬も持つことが出来る。けれども子供に道理がある場合、母親がそれを静かに聴くことも出来なくなっていて、いきなり気に入らないことを一言言えばもう殴るという状態になった
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