の勇士に対する憧憬、特攻隊の讚美の方向へと追いよせられた。女性のやさしさは、支配者によって、彼女たちの愛してやまぬ男たちを殺す刀に付ける虚偽の飾りとして利用されたのであった。キリストは神の名において戦争を合理化し熱心なキリスト教徒の女が、恥なく人間同士の殺戮に熱中した言葉を与えた。そのとおりに、日本の、「雄々しい女心」は、人民の破滅の方向へと、総て動員されて行ったのであった。小説から、和歌から、ふと眼に入るグラフまで、戦争を讚美しないものがあったろうか。今日になれば、それは全く嘘とわかった「皇軍の勝利」を描き出さないものがあったろうか。
 こうして、現実の敗北と架空な戦勝との不思議な絡《まと》い合せのまま時が経つうちに、その矛盾の間から、深刻な社会問題が生れて来た。大河内一男教授が帝大新聞に青少年の犯罪の増加について書かれたことがあった。国民学校の上級生から中学、専門学校に至るまで、学徒は動員されて工場に働いていたのであるけれども、不規律な工場の労働と、青少年の正しい娯楽設備のない社会の実情とは、急に金を持つようになった青少年達の生活を、決して健全にゆたかにすることは出来なかった。その頃、日本の総ての娯楽機関は戦時目的のために縮小して、映画さえも軍事映画しかないようになった。金を持って、緊張する程の職能教育も授けられず、学校もなくなってしまった青少年達は、非常な勢いで社会的な堕落に染まって行った。未成年者の喫煙、飲酒、買婬は驚く程のスピードで無垢な少年達の生活を崩して行った。その結果工場の資材を持出して売ること、そういうもののブローカーをすること、盗んだ資材で、例えばラジオを組立てたり、時計を一寸修繕したりして、それで又金を儲けること、窃盗や詐欺が大変に殖え始めた。世間の注目はこのようにして始まった青少年の生活破産に対して鋭くなり始めた。ところが、忽ちそういう真面目な社会的関心は新聞その他の面に現われなくなった。解決策も対策も輿論によって形づくられないうちに、この重大な社会問題は、揉消されて闇に葬られてしまった。ちらりと現われて、社会矛盾の深い波の蔭に圧し隠されてしまったこの現象は、私達に何を告げているだろう。
 繰返しくりかえし触れているように、この事実は日本の生産、経済の機構が薄弱であって、どんなに安い労働力、即ち婦人と青少年の労働に多く利潤を追って存在して来ているかという証拠である。明治社会の発達が、繊維工業によって、婦人の最大の犠牲の上に発展して来たのと並行して、日本の後れた工業は、半ば手工業的に、屋内労働的に小工場を日本中にばら撒いた。そこでは昔ながらの徒弟制度や、年期や、半封建的な青少年の労働条件が存在している。戦争が始まって、それらの小工場はみんな軍需生産の下請工場となった。急に生産を膨脹させると共に、労働の基本としたのはやはり賃銀の安い青少年労働者、そして婦人達であった。この青少年と女性の勤労を戦時的に利用する計画というものは、既に十数年前から着手されていた。大河内正敏は、今日戦争犯罪者として監禁されているが、彼が計画した「農村の工業化」の方式というものは、世界に類のない方法であった。最近まで日本の農村は知られている通りに一般には貧困であったし、文化の程度も後れさせられていた。理化学研究所長大河内正敏の計画は、軍需産業を都会に集中させて置くと被害を被るから、各地方に分散させようという表面の目的の外に、田舎の村の中に小さな作業所をどっさり拵えて、非常に簡単な分業を組織し、農村の婦人達がどんなに未熟練であっても、すぐその機械の操作を覚えて働いて、軍需生産の全国的な能率を上げて行くようにという計画であった。この計画について、私達婦人が当時も非常に驚いたことは、大河内は日本の農村における婦人達の世間知らず、忍耐力、従順を利用して、真面目に働かせることは有利であると、その著書の中に明言していることである。同時に大勢の労働人員を一つの工場の内に集めると、集団の力を恃《たの》んで近代的な労働者の自覚が出て来て、使う方としては不便になって来る。農村の村々に、切離して少しずつ女を働かして置けば、いつまで経っても、それらの勤労婦人達は、都会における工場の労働婦人のように団結することも知らないし、要求することも理解しない。その上、その労働に対する賃銀はそれぞれの「村の経済状態を混乱させないために」その村で女が内職をして得る賃銀に均しいものに止めて置くことが最上の方策であると言われたのであった。こういう婦人の労働力の搾取の方法は、おそらく、今日の世界に類のないものであったろうと思う。
 アメリカでも、ドイツでも、イタリーでも第二次の世界大戦においては大幅に婦人の力が動員された。特にイタリー、ドイツにおいては日本と同様に侵略戦争を始めた
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