険も全市にひろがろうとしている。
 これらすべての危期が、愛する日本を覆い、私たちの時々刻々を脅かしているのである。
 四月十日の総選挙をめざして、各政党が、どう党費をまかなっているか、「国民的監視が必要」と云われている。十五億九千万円の動産と百三十五万町歩の土地とをもつ日本の君主は、この波瀾万丈の日本全土を巡って、自身の宣戦によって戦争が引起され、全人民の生活が破壊されている光景を前に、人民投票をさせようとしている。
 生きようと欲するのは男だけの希望であろうか。子をもっている雌虎は、雄よりも強い闘争力をもっている。このことは、どんな猟師も知っている。私たち婦人は、生きることを欲している。美しく幸福なわが日本に、よろこびをもって生きることを望んでいるのである。
 人まかせにして、今日の破局が生じている以上、私たちが、もう人まかせにはしておけないと思って来ているのは、理の当然ではないだろうか。
 人民のための人民共和の政府がもたらされなければ、結局、婦人のために保育所一つ、授産所一つ作られないことが、わかって来たのは必然であると思う。モラトリアムと生活費値上りの恐ろしいばかりの食いちがいによって、人民生活は極限へ追いつめられようとしているのに、政府は、まだ、軍需産業補償のことをいっている。封鎖した人民の金で、もう十分儲けた軍需成金を猶この上にも補償して、その裾わけにあずかろうとしている。軍需産業補償金があるならば、その金こそ、戦死者未亡人その家族の生計保償のために、戦災者の生計立て直しのために、公明正大に支弁されるべきだと思うのは、誤った考えであるだろうか。
 今日、日本には五百八十三万人の失業者があると、モラトリアム公表の日の新聞にかかれていた。八十三万人は、三月までに就業する見透しであると報じられている。
 だが、私たちは、注意ぶかく、事のいきさつを見守る必要があると思う。例えば、国鉄の従業員が、生計費の値上りに耐えかねて待遇改善の要求をした。そしたら、国鉄の運賃は、飛び上った。昔から辛棒づよい社会勤労者の代表である逓信従業員が、生きなければならない、という共通の必要から、困難な対立に入った。逓信院では、ハガキ二十五銭、封書五十銭の値上げを考えているのである。理由は多額となった支出をまかなってゆくためであるとされている。
 逓信従業員たち、国鉄の働く人々の生活の実体は、何たる悲劇的めいたものとなるだろう。勤めている男女の従業員は、幾らかの割増しのついた給料を家へもちかえるとしても彼が、知人の安否を問い合わせる一枚のハガキは二十五銭になる。更に私たちが、周到な理解をもって知らなければならない重大なことがある。それは、工場、官庁その他の公共的な場面に働く勤務者が、私たちと全く同様な生活の必要から一定の要求をすると、当事者たちは、その要求を拒絶出来ない代り、忽ち、その結果を、一般市民これを見よ、とでもいう風な、其々の部門での値上りとして反映させることである。
 官僚的、財閥的なこういう技術が、もし私たち人民に仲間われをさせ、一般消費市民と勤労者、農村と都会との対立を生むならば、これほど反動のよみがえり、専制支配の復活に好都合なことはない。何故なら、それを日本人民には、自治の能力、民主の方法がまだ分らないという口実につかい得るのである。
 今日心ある人々は皆正当な、合理的で平和的な人民の食糧管理が大切であると、考えている。そのために、秩序と組織性をもって、町から村へ、村から町へと民主的に統一された線の出来なければならない事を痛感している。
 政府は不手際な強制供出方法によって供出を拒んだ農民は投獄されなければならない規定までこしらえた。都市消費者が、供出しない農民を怨み、窮した揚句に都市内が騒がしくでもなるとしたら、どういう結果になるだろうか。その動揺こそ、今は表面から姿をかくしながら、虎視眈々と機会をうかがっている旧軍閥、反動者のつかむところとなる。「鎮圧しなければならない」口実を、人民自ら呈供するほど、今日の日本の民衆は無智であるだろうか。或る種の似而非《えせ》政治家は、食糧その他の人民管理委員会というものを、さも革命的なもののように誇張して、日本の民主化の今日の段階を無視した二重権力というような理論をつくり上げている。歴史の必然のない、観念の社会主義へ挑発している。私たちがこの日本を民主化しなければならないという今日必然の条件は、日本の明治維新当時、ブルジョアジーが、半ば封建的な自身の歴史性から中途半分にしか日本を近代民主化させて置かなかったというところから起っている。婦人を、男子と等しい社会の成員として認めることさえし得なかった社会の半封建の性格が、今日までのこっているからである。出発の初から封建的であった支配階級は、その
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