閥と軍閥とは儲けこそしたが痛手というような痛切な経験は一つもしていない。折を見て、連合国側にちょいと参加して、南洋の旧ドイツ領の委任統治地を稼いだし、青島に日本名で町名をつけることに成功したりした。人民の生命に責任を感じない彼等は近代戦争の惨劇というものを根柢から理解していなかった。三十年四十年と後れた平面的な戦争技術と戦術と生産能力への無智、世界情勢への無判断のまま、この大戦争に突入した。世界的な理解を持っているために戦争参加を危うがった政治家、銀行家、その他は二・二六事件という暗殺事件によって、生命を奪われているのである。
ところで、この頃よく、日本は強盗戦争をした、といわれる。それをきいたとき、私たちの心もちは、どうしてもそれをうけ入れかねる。自分たちは、一つも強盗戦争なんかしなかった、という反対の心持がする。ここが、非常に重大なところだと思う。本当に、私たち七千万人の日本の人民は「いくさ」をした者であったのだろうか。私共総てが、愧《は》ずべき戦争犯罪者であるのだろうか。この点は十分考えてみなければならない。なぜかといえば、これ程大きな犠牲と、これ程大きな社会生活の破壊を齎した戦争を、いざ始めるという時、私達人民は当時の政府から民族の信仰的よりどころといわれる天皇から、どんな相談を受けただろう。どこに、どんな人民の大会が持たれたか。どの新聞が、世間の輿論を尋ねたか。真珠湾の攻撃が、十二月八日の朝突然発表されて、人々は驚いてアメリカとの戦争が始まったことを知った。全く不意打であった。人民としては、戦争をするのがよいとも、しないのがよいとも、アメリカが憎むべきか、憎むべきでないか、全然その判断にさえも招かれていない。全く侵略的な日本の支配者が独断で、人民に一言、一度の相談なく、天皇が宣戦詔勅を出して始めた戦争である。数百万の人が今度の戦争で命を失った。しかし、その人々は、言葉の正しい意味で自分達でした戦争で死んだのではなくて、不幸なその人達及び、私達人民一般は、させられた戦争に、理非をも云わせず引き出されたのであった。
この事実を明瞭にしなければ、私達の今後の生活は、どんな新出発の足場をも見出すことが出来ないであろう。なぜなら、戦争の結果私共の日常生活はこのようにも破壊されている。特に婦人に取って、その生涯を託すべき処と明治以来教え込まれている家庭そのものが、
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