義やその感激というものが、歴史変化に伴ってどんなに堕落し、いつともしらず全く非人間らしいものになるかということの、恐ろしい例を見ることが出来る。日本の人道主義者であった武者小路実篤が、今日そのように堕落したという悲劇は、彼が要するに華族の息子で、社会の現実の機構、そこにしっかりと結びついている人間の働き、それの客観的な意義を全然知らないで、曾て彼が書いた作品の題のように、「わしも知らない」ままに、文化的にも拭うことの出来ない人間的罪悪を犯した。私たち婦人は、悪よりも悪い無智というものを生活から追放しなければならない。沁々とそれを思わずにいられない。
戦争の犠牲
軍事的な日本の権力が満州を侵略し、中国を侵略し、大規模の侵略戦争を開始したのはいまから十四年前であった。一九四一年十二月、真珠湾の不意打攻撃を以て太平洋戦争に突入した。そして、一九四五年八月十五日無条件降伏を以てこの惨劇を終った。特に太平洋戦争が始まってから、我々日本の人民は、その戦争を大東亜戦争という名で呼ばされた。且つ「聖戦」と言い聞かされた。ところが敗戦してポツダム宣言を受諾した時、日本は連合諸国から戦争犯罪国として、対等の国際的自立性を奪われた。私達祖国を愛する者は、この戦争の結果を悲しい心で受取った。そして、或る人々はきっと思ったに違いない。昔から喧嘩両成敗という言葉がある。国際間の戦争にしても必ず相手はあるものを、なぜ日本にばかりに戦争犯罪国の責任が負わされるのであろうか。それは日本が敗けたから、勝った側から、勝った勢いでそのような道徳責任までを負わされるのではあるまいか、と。私達は自分たちが、自信をもって生き、明るい日本建設のために、新しい民主日本を形づくってゆくために、この疑問の感情を究明し、国際間における日本の戦争責任の意味を十分理解しなければならないと思う。さもなければ、誤った狭い民族意識に捉われ、その民族意識は反動者に巧に利用され、結果としては、私たちの手がやっと端緒についたばかりの民主政治を再びまき上げられてしまうことにもなりかねない。私たちはわが祖国を愛し守ることにおいて、聰明でなければならない。
なぜ日本は第二次ヨーロッパ大戦において侵略戦争の責任者と判断されているだろうか。遡って考えると、二十八年前(一九一四―一九一八)の第一次ヨーロッパ大戦において、ヨー
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