うことを強調しているのは、民法における婦人の地位がどんなものであるかということを婦人自身が全く知らずにいて、その結果としての悲劇ばかりを生涯の上に負わなければならないことを福沢諭吉は憐れにも思い、はがゆくも思ったからであろう。経済上の知識ということも福沢諭吉の論じている範囲では、あまりに婦人が深窓に育ち世事にうとく、次第に複雑化して来る近代社会の経済関係の中で、常に騙され損失を蒙る可哀そうな立場にあることを見て、婦人もやはり社会の経済に関する理解を持たなければ、家庭の安全と幸福さえも保てないと力説している。この賢明な助力者である福沢諭吉が、婦人の職業的経済的自立の問題に触れていないことは注目される。「新女大学」は、戸主が婦人の社会的地域に十分の同情と理解とを持って、財産相続或は分配の場合に、ヨーロッパ諸国のように、女子にも適当な経済上の保護、分配を与えるべきである、と主張している。日本の家族制度では、相続権は長男にある。同じ子供でも、女子は権利を持っていないことになっている。そのために能力の弱い婦人が、社会的に悲境に陥りがちなことを諭吉は憐んで、女子に対する経済的の保護ということを言っているのである。福沢諭吉が女子の経済的自立をとりあげず、戸主との分配権をとりあげたのは、全く、資本主義国日本としての、ブルジョア民主化の先鞭をつけたものであった。日本の権力は、一方資本主義化の諸悪を社会に発生させつつ、資本主義国の進歩的な面は、最少にしか実現して来なかったのである。今日この点を改めてとり上げてみるならば、第一日本の総人口の九割迄の人々は、一生を働き通して、しかも伝えるものとては借金以外に極く僅かの財産しか持たず、況《ま》してそれを何人かの子供に平等に分配するという程の富を蓄積し得ない人民の経済生活である。従って、第一次大戦後の大正年間に、婦人の経済的独立という問題が社会の各方面から叫ばれたのは当然である。
 大正年代には婦人参政権運動の一群の進歩的な婦人たちと並んで、労農党の一翼として、婦人同盟という進歩的な婦人の団体があった。この団体は、婦人の政治上の権利の平等を主張すると共に、婦人に経済的独立の可能を与えよと熱心に提唱して、女性が社会的発展を遂げる根本条件を確保しようと努力した。しかしこの努力も第一次大戦後の経済破綻、それに伴っての大失業、より多くの女子の失業等の大
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