失し、人妻の「無能力」に陥ってしまう。そして、何か女性にとって不幸なめぐり合せが起るとそのことごとに結婚の条項において民法が規定している総ての不合理と片手おちとに苦しまなければならない。夫婦の愛にかかわる貞操の責任に関してさえ、妻は夫とちがった扱いに立たされている。夫に死に別れた時、戸主となるものは自分の息子であるか或は養子であるか、いずれにせよ、その時婦人は相続者の支配の下に置かれる立場になっている。徳川時代女は三界に家なしといわれた。それは、果敢《はか》ない女の一生の姿として今日考えられている。けれども、現在行われている民法の実質は、結局において今日なお女子を三界に家なき者として規定している。それぞれの婦人たちの生涯の努力と実力如何にかかわらず社会的に能力なき者と見なしているのである。
今日民法における女子の不平等な地位を改善したいという激しい要求が現われているのは、全く自然なことであると思う。何年か前穂積重遠博士が民法改正委員会を組織して、『民法読本』という本も著し、民法における婦人の地位の改善のための努力を試みたが、明治以来の保守的な日本の支配権力は、この委員会の仕事を、蝸牛の這うようなテンポで引っぱった。
第二次大戦の間に民法における私生子の区別が撤廃された。なぜ沢山矛盾を持った民法の中で、特にこの条項だけがその忙しい時期に取上げられたのであろうか。私たちの常識は、一考して深く頷くところがある。日本の家族制度、財産の相続を眼目にした親子関係の見方においては、嫡出子と庶子、私生子の区別は非常に厳重で、生まれた子供は天下の子供であるという人間らしい自由さを欠いている。けれども、戦争が進行して総ての若者を動員し、彼等の命を犠牲として要求した時に、権力は相続者としての子供を奪われる点を考える親の思惑を憚って嫡出子と私生子の区別をかたくしては不便至極となった。又私生子が民法的の区別のために、彼等の少年時代から受けて来た暗黙の苦痛、その苦痛から出発している社会の不合理に対する洞察力というものを、権力の命のままに生命をすてさせるについて一種の精神的抵抗と感じた。それ故に、死なすという単一な軍事目的のためには嫡出子も私生子も区別はないという根拠から私生子の差別を削除したのであった。公文書その他に、士族、平民と書くことを廃止にした。この理由も同じ由来をもっている。
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