権利を持っていた。このことは、もうその頃から女の力が、産業と毎日を生きてゆく家事との上で、どれ程大切な役目を持っていたかということを証明している。神話に、天照大神が機を織っていたらば、素戔嗚尊《すさのおのみこと》が暴れ込んで、馬の生皮を投げ込んで機を滅茶滅茶にしてしまったという插話がある。女酋長である天照大神はそれを憤って、おそらくその頃の住居でもあった岩屋にとじ籠って戸をしめてしまった。神々は閉口した。そこでその岩屋の前で集会を開いて、何とかして女酋長の機嫌を直そうとした。その時に、氏族中の一人の女であった鈿女命《うずめのみこと》が頓智を出して、極めて陽気な「たたら舞」をした。それをとりまいて見物している神々が笑いどよめいた声に誘われて、好奇心を動かされた女酋長がちょいと岩戸を隙《す》かしたところを、手力男命《たじからおのみこと》が岩を取り除けて連れ出したという物語である。これは天照大神が女の酋長であったと同時に、その氏族の中では機も織り、恐らくは野に食物をあさりもした実際の働き手であったことを物語っている。鈿女命の踊りは、氏族に重大な問題が起った時に、後世のような偏見は持たれず、女がその解決のために自由な創意を働かすことが出来たという当時の社会の事実をも語っている。
こういう原始社会の生産が次第に進んで、日本民族は次第に一定の土地に一定の方法で行う耕作を憶え、鉄器が輸入され、氏族間の闘いで、より強い氏族が弱い氏族を奴隷として自分に従え、労働させるようになった。それにつれて、個人の富というものが段々増大し、固定して来た。婦人の地位というものはいつか変化して来た。太古のあどけない平等は失われ、財産の主人である男の父権が確立して女子はそれに従属するものとなりはじめた。奴隷としてつれて来られた他氏族の者の中には勿論女も交っていて、それは女奴隷として労働させられ、男の所有ともなされた。この時代から女性は男子の権力に服するものとしての、社会的な在り方が根をおろしはじめ、歴史と共に極めて多様な形で変化しながら、殆んど今日まで、なお本質は継続して来ているのである。
藤原時代(西暦十一世紀)は、日本の文化史の中で、最も女性の文化が昂揚した時代といわれている。世界に誇る日本の古典文学といえば、それがたった一つしかないようにいつもとり出されている源氏物語にしろ、枕草子、栄華物語、
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