り、私はそれを書いていた時、それを活字にするなどということについては思ってもいなかった。祖母が福島県の寒村に住んでいて、私は殆ど毎年夏休みはそちらで、裸足で、どこの百姓家の土間へも、鶏にくっついて入って行くような暮しかたをした。その間に見た農村の生活が強烈な印象を与え、自然発生的に書いたのであった。はじめ「農村」という題で三百枚ほど書き、例によって手製の表紙をつけて綴じて持っていたのを、また気のむくままに書き直した。最後の一句を書き終ったのは、夜更けであったが、私は自身の感動を抑えることが出来ず、父と母とが寝ているところへ原稿をもって侵入して行った。そして、母に読め読めと云い、それを読み了ったら母も涙をこぼしたのを覚えている。雑誌には周囲のものの意志で載るようになった。原稿料をもらった時は、どちらかというとびっくりした。自分が原稿料等というものをとれると思っていなかったのであった。
処女作が発表された当時、年はひどく若いし、当然小説そのものにしろ自然発生的にしか書けない時であったから、いろいろに云われ、注目されるのが苦痛であった。特に、自分としては心にもないポーズを、母などが対外的
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング