にやるようなことが起って、嬉しさより苦痛と不安とが次第に加わった。
当時私は文学的な影響としては最も多くトルストイの翻訳から学びもし、模倣もしていた。「コサック」や「アンナ・カレニナ」など、今日思出しても新鮮な熱情をもってよんだのであったが、ここに一つ実におかしいことがある。私の公的処女作というべきその「貧しき人々の群」の中には、ところどころで作者がやみ難い人道主義的感激を「子供等よ!」という農民への呼びかけで表現している。また「わが兄弟」という言葉でも呼んでいる。それは、まさしく当時の私の心魂をつかんで燃え立たしていたトルストイの翻訳の中にある文句なのであったが、それから十数年後、ソヴェト同盟へ行って見たら、どうだろう! 直訳文のままながらも私の感情を表現するものとして役立っていたその「子供等よ!」という呼び声が溌溂としたコムソモーレツの喉から、労働者の口から、愛する今日の仲間への呼び声としてやはり高々「レビャータ!」と叫ばれているではないか。私は自分の幼い「貧しき人々の群」を思いおこし、ああこの「レビャータ!」という親愛のこもった呼び声こそ「子供等よ!」であったかと、嬉しく懐し
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