年の父と母が所謂建設期の熱をもって、活々と精力的に生活を運転している中に子供もあって、しかもそういう親達の社会的な利害打算とは無関係に子供は子供で、自身の世界をつくって行く。謂わば、大人の知らないうちに子供は大きくなっているのである。
私のその小学生の恋愛小説にしろ、決して親たちにかくれて書いていたのではないし、母もきっと毎日何度かその座敷をとおるたびに、六七寸高くなった一畳の張出しのところで鏡台と並べて私が母の小机を据え、その前に坐っているところは見かけていたであろうと思う。だが母はまた母の関心事があって、いつもそういう私の元禄袖の後姿だけは見て、座敷を出ればもう忘れて立ち働いたりそれなり外出したりしたのだろうと想像される。
小学校に入れた時からもう六年になるのを心待ちにし、小学でも出たらこうと一家の生計と結びつけて、その子の身のふりかたを考え、成長を見守っている勤労者の家庭の中での大人と子供との関係と違うところがそこにある。私は、その点に今は社会的な意味を見出し、回顧するのである。
『中央公論』に処女作として発表された「貧しき人々の群」は、十七から十八にかけて書かれたものであ
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