めた。
朝子は、そういう都会の生活の動きを刻々に感じながら、辞書を引く仕事の間には、自分の仕事のテーマについて考えた。
ああ、われら、いつの日にかこの歌を歌わん。いつも朝子の耳には、その文句が鮮《あざやか》にきこえて来た。そして心はその文句の上を大きくゆるく旋回しながら、次第次第に下降して、その輪が静止したところには、保の死とそれに対する自分の惜しく腹立たしく悲しい心持とが、明瞭に横わっているのであった。だが、今の朝子には、保の死というものが、歌わんとするわれらの鏡としてみればその裏の姿であることが理解されていた。歴史の浮彫にたとえれば、保の辿った路は、その裏の凹みのような関係で、云わば凹みの深さ、痛切さは、肉厚くその凹みのあっち側に浮立っている生活の絵模様を語っている筈なのであった。朝子の心の輪のしぼりは更に小さく接近して、その絵模様をさぐろうと試みるのであった。が、それはいつも平面的な図取りとして、朝子の心に映って来るばかりであった。図取りの全部が見えている。そっちに見えている。だが、その図取りに自分が体で入って描き出している線というものはなかった。
新しく瞠られた探索の目を
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